発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q33.このごろ「歌の基準」ということばをよく耳にしますが、発声についてなら「正しさ」ということは確かにあると思うのですが、歌については「基準を示す」ということが、何の意味をもつのかわかるようでわかりません。体のついた声と音楽上の最低限の約束事を身につけた上でなら、好きなことを自由にやっていいと思っています。その先にまだ「基準」というものがあると思うと、当てが外れたような気持ちになります。私は、発声のトレーニング以降は、そんなもののないところで歌っていきたいと思っています。

A.好きなことを自由にやってよいのは、別に発声が身についていなくとも、本人の勝手でしょう。発声が身についていたら、どう歌っても歌になるというなら、私が何をどう歌っても歌になるということでしょうが、そんなことは絶対にありえません。そのことがわからない人には、発声のための発声らしきものは身についても、歌を支える発声は身につかないでしょう。どんな人でも、すぐれた歌しか心地よく聞かないのであり、それを基準といっています。歌が自由なのは、カラオケやアマチュアです。人前に出てやる人は基準を超えなくては自由でありえないから努力するのです。それは明らかに発声をも含めた歌の基準です。だからこそ、トレーニングも歌もやっていくべき目標や実感があるのです。それがどうでもよければ、当のヴォーカリストこそ困ります。

歌の基準というのは、発声の先にあるものでも、私やトレーナーがさし示すものでもありません。あなたのなかにあるべきものです。しかし、アーティストのなかにはあっても、あなたのなかにないから、基準などということに支配されるのです。自由にやってやれているなら、そこに基準がある。そういう意味の基準です。だから、他人にこんなことを問わず、やればよいのです。