A.好きなことを自由にやってよいのは、別に発声が身についていなくとも、本人の勝手でしょう。発声が身についていたら、どう歌っても歌になるというなら、私が何をどう歌っても歌になるということでしょうが、そんなことは絶対にありえません。そのことがわからない人には、発声のための発声らしきものは身についても、歌を支える発声は身につかないでしょう。どんな人でも、すぐれた歌しか心地よく聞かないのであり、それを基準といっています。歌が自由なのは、カラオケやアマチュアです。人前に出てやる人は基準を超えなくては自由でありえないから努力するのです。それは明らかに発声をも含めた歌の基準です。だからこそ、トレーニングも歌もやっていくべき目標や実感があるのです。それがどうでもよければ、当のヴォーカリストこそ困ります。
歌の基準というのは、発声の先にあるものでも、私やトレーナーがさし示すものでもありません。あなたのなかにあるべきものです。しかし、アーティストのなかにはあっても、あなたのなかにないから、基準などということに支配されるのです。自由にやってやれているなら、そこに基準がある。そういう意味の基準です。だから、他人にこんなことを問わず、やればよいのです。