発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q264.理論は必要か。

A.歌がうまい人は理論を理解したうえでうまくなったわけではないのです。ただ、勉強に行き詰まったら、理論からやってみるやり方もあるということです。ポップスの世界では、理論もわからない、楽譜もかけない、楽器も弾けない、それで歌っている人や曲をかいている人がいます。音ははずしません。とはいえ、必要とされる理論とは、本で学ぶものではなく、構成的、体系的、論理的、つまり音楽というものの形式や構成をもって捉えると考えるべきでしょう。☆

勉強するときに、ソルフェージュや聴音というやり方があります。日本人は音を聴く力が弱いのです。日本の国語の授業は読み書きだけでやられてきたからです。どういうふうに詩を読むか、そこでどう声を使うか、間をどのくらいあければよいか、そんな体験がないのです。

外国はそういう指導を受けています。国語は音声表現中心だからです。欧米人にとって、ことばを使うということは、大人になるために必要なことなのです。即興で自分の考えを話せなければ、子供と同じです。思ったことをことばでいって、そのことばに責任をもって相手を説得するということは、高校生では必修です。スピーチ、ディスカッション、ディベートの授業もあります。

日本人の場合は、人まえに出て話すことさえ嫌なことでしょう。向こうは逆で、人まえに出るということは楽しいことで、とても栄誉なことと思っています。そういう音声と生き方の関わりでのギャップというのは、大きいものです。

彼らは音声が聞こえなければ、身が危ないし、自分の身を守るのに声が出なければ、殺されてしまいます。向こうでは、それだけ声やことばというのは責任を伴うのです。

本当に聴くということと、声に責任をもって相手に伝えるということをなおざりにして、せりふや歌として使えません。この国はそれでやれてしまうのです。