やはり、何にしても、心とか魂が感じられるもの、ということはいえると思います。あなたが歌う理由、その歌の中で問いたいもの、そこにお客さんがいたら何を自分の価値として提供するかという、それによって決まってくると思います。
それとともに、それを高めていくということは、伝わるようにどう作るか。また、そのことよりも、まず自分が作ってみること。その上で、ここの部分が伝わらないと思ったら変えてみる。全部伝わらないなと思ったらその曲はやめる。そうやって試行錯誤していくことが大切です。
自分はこの曲でことばを大切に伝えたいということであれば、そういうスタンスが決まってくる。そうしたら、それを伝えるためにどうするかという問題に落ちてきます。何でもやればよいということではありません。
伝えたいことがないと言ってしまえば、誰だって本当に伝えたいことなど、どれほどあるのかとなる。その辺は歌い手、そういうものを作っている人をみた方がよい。衝動、勢いで理由などなくやっている。では、なぜ自分は歌っているのか、なぜ勉強しているのかということになってきます。客が見えないときというのは、難しいですから、相手を想定するということが第一だと思います。ただ、相手が見えなくてもやらなくてはいけないときもある。その辺をあまり考えすぎると、なぜそれを歌でやらなくてはいけないのか、歌でなくてもよいのではないかとなってきます。
今はやりたいことをやっていく。それが伝わったかどうかというのは、あとで誰かがそれを評していうだけのことです。伝わったかどうかということを、最初から考えずに、歌を突き放すことも大切です。その人がやりたいことを思いっきりやって、一生を駆け抜けていくことだと思います。
誰もがやりたいことというよりも、やりたくなくてもやらされてしまう場合もあるでしょう。いわゆる業みたいなものかもしれません。
歌い手も、客がいようがいなかろうがやっていく人はやっていくし、伝わったとかどうかは関係なしに、やらざるを得ない状況の人たちもいます。そういう中で何を選んでいくかということだと思います。自分が勉強しなければ、相手に突っ込まれてしまう。そういう意味では、自分が勉強せざるを得ない状況になるということです。