高いところや大きなところばかり聞いて、そこでやれないと思っています。けれど、そんなところは問題ではない。ヴォーカリストが息で歌っているところ、ひとつの表現は、すごく小さな声で、1音だけ出すところでもやれていない。むしろそこのほうがやれない。この声を小さくしてみて、これで皆に伝えようとすると、これだけ体を使うわけです。どういうことかというと、小さな声は出せる。でも小さな声に体や感覚が入っていなければ、その体や感覚に小さな声として、まったく表現力を失ってしまうのです。だから小さな声でいいということではなくて、小さな声や弱い声になったときに、それが大きな声と同じだけ伝わるという状況をつけたときに、息や体が、自分でよりコントロールできていなければダメなのです。大きな声、高い声というのは、目安です。大きな声というと体を使いやすい。小さな声は最初は体を使えないから、そこから入るというのは悪いことではない。高い声もそうで、そっちのほうが得意だったらよい。