A.声楽からポップスをみると、高音域の共鳴での無理を感じるケースがあります。喉や胸のポジションに固執しているのが心地よくないのでしょう。現実に、そういう歌い方をする一流の歌手もいるので、否定しても意味のないことです。声楽、ポピュラー間の問題のようでも、演奏としてどうみるのかと、ヴォイトレとしてどうみるのかは別のことです。また、他の問題とも同じく、果たしてこれを発声法や技法として定義づけられるのか、歌い手をこの発声法で分けられるのかは疑問です。
ドラマチックなテノールの重厚な声、バリトン、バス、1980年代を中心とした歌手男女とも。また、長唄など、私の見解では、邦楽はほとんど入ってしまいます。歌手はその存在があれば、認めざるをえないでしょう。ヴォイトレとしては、タイプ、目的、プロセスによって異なります。
日本においてはこの20年、歌のヴォイトレでは、ほとんど避けられ、否定されてきたと思います。合唱団、ハモネプ、ファルセットを多用する歌手、マイクなしで歌えない歌手については、特にその傾向が強いでしょう。ヴォイストレーナーも同じです。
その結果、私は決して声についてよくなっていない。すべての人が、こういう発声法を肯定するべきとまでは言いませんが、ヴォイトレに組み込んで使う価値はあると思っています。そのあたりは、私だけが、日本で本格的に活用している。あらゆる分野の歌手、歌手以外に使われているのだと思っています。
美しい響き、頭部共鳴にすぐに移すのでなく、支えとしての胸部共鳴に基礎としてこだわり、器を広げておくということです。否定の根拠は、そこで固めたり、押したり、喉を絞めたりするからでしょう。むしろ、理想的なリリースの支えに寄与し、マスケラの獲得のプロセスとなるのです。(♯)