発声と音声表現のQ&Aブログ

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Q.演歌とロックのビブラートは違うように感じます。ビブラートというのは何ですか。

A. ビブラートというのは、声の揺れですが、よい発声・無理のない発声をしていると、発現するのが、自然で美しいビブラートです。

それとは違い、意図的に音を揺らすのが、弦楽器などのビブラートです。声も同じように、意図的に揺らして、美しさや感情をつけ加えるのが、演歌などによく見られるビブラートです。本来のビブラートに比べると、揺れ幅の大きさも周期も、基本的に大きいのが通常のようです。

自然で美しいビブラートとは違い、不自然で、あまり美しくないビブラートも、あります。代表的なものが、ちりめんビブラートです。どのようなものかというと、自然なビブラートに比べて、動きが細かいビブラートで、小刻みに揺れるものです。クラシックでは、発声が悪いことが原因なので、バカにされますが、他のジャンルでは、意外に、絶大な人気を誇る歌手に、見受けられたりします。必ずちりめんビブラートがかかってしまうのなら、わかりますが、ちりめんビブラートと、綺麗なビブラートを使いわけたりする大物歌手もいるので、表現の幅の広さに、驚かされます。

ちりめんビブラートのような細かさとは正反対に、大きすぎて、音程さえよくわからなくなりそうな声の揺れも、ときどき聞かれます。大きく立派な声を出そうとして、がんばり過ぎている結果ですが、声楽の歌手にも、たまに見受けられ、アンサンブルが不可能になるので、とても嫌われます。

アンサンブルなどで、ハモリやすくするために、ビブラートをつけない、ノンビブラートの声で歌うように、要求する指揮者や作曲家もいるので、声に自然なビブラートがかかるようになったら、そのビブラートを止める練習も、声楽家には必要かもしれません。(♭Ξ)

 

 

A. 端的に言えば一つの音を揺らすことをビブラートといいます。ただしビブラートの中でも「ゆれた声」という状態のときもあります。ゆれた声のときは通常のビブラートよりも揺れ幅がとても大きいです。逆に細かくビブラートがつきすぎて震えたようになってしまうこともあります。

演歌の方は通常のビブラートよりも揺れ幅が大きな出し方をロングトーンですることが多いですし、ロックはゆれよりも声の強さで押し切ってしまうようなパターンが多いです。楽器の場合はビブラートをかけることもありますし、あえてかけないこともあります。しかし、ジャンルを問わず発声の技術が高い歌手は、声に適度なビブラートがあります。ビブラートの中に声の響きや、振動、表現が含まれているので、全くビブラートのない声というのは味の薄い料理に近いものがあります。

声楽の世界でも古楽をやる方々はオペラをメインの方々よりもビブラートの幅が小さいですが、その中にも小さな振動があります。声楽家の場合は、基本的にすべての音を響かせるので、どんな音であってもビブラートの要素が加わります。

ビブラートの歴史は会場の広さも関係していて、作曲された当時の劇場の大きさは現代の劇場よりももっと小さく収容人数も少ないものでした。一緒に演奏するオーケストラの人数も今よりも多くない。それに対応する声でよかったのです。しかし、時代が進むにつれ劇場の大きさ、収容人数の増加、オーケストラの拡大でそれまでよりも遠くに飛ばす技術が必要になっていきます。その中で発声の技術としてビブラートをしっかりとかけるということが発展していきます。

ビブラートをかけるという意識よりも体を使って共鳴させようと思うと自然にビブラートが発生してくるというイメージでしょうか。ジャンルを問わず発声の技術が高い歌手に適度なビブラートがあるのは、発声の技術の向上の中で自然発生的にでてくるのが、歌のビブラートだからです。(♭Σ)

 

 

A. ビブラートは簡単に表現すると声の揺らぎです。揺れる幅が広いか狭いかで聞く人へ与える印象は違ってきます。また、揺れの幅が不規則よりも規則的な方が声の響きが豊かになるので好印象だと言えます。ビブラートがあることで表現の幅が広がったり、聞き心地のよさが増すなど演奏効果があります。

声楽では息のコントロールによるものを指します。演歌やロックを含めて他のジャンルを聞くと細かい揺れを喉で作ったり、口を動かすことで空気の振動を変えて揺れを作るものも見受けられますが、一方で他のジャンルでも喉ではなく息のコントロールによるビブラートの歌手もたくさんいます。

演歌はこのビブラート、ロックはこのビブラートという定義は特にないですが、あなたが違うように感じたのなら、それでいいと思います。仮に演歌歌手だけで見たとしても皆が同じ技量の同じビブラートだとは言えないですし、演歌やロックに限らず曲調が違えば息のスピードや息遣いも違ってくるものです。音高によってもビブラートは変化します。いったん何のジャンルかという枠は外して、歌い手や曲調によってビブラートの聞こえ方が違ってくると捉えてみると、見え方や感じ方がより広がるのではないかと思います。(♯α)

 

 

A. ビブラートとは「震わせられた音」という意味になりますが、ジャンルによってその解釈はさまざまであり、見解も十人十色であるように感じます。

声楽的な観点を基準に考えると、声帯が必要充分に伸ばされていること、声帯の隙間が空きすぎず、充分に声門閉鎖が行われていること、体での支えも含めて充分な呼気圧を保てること、共鳴空間を確保できることなどの条件が整えられたとき、「自然とかかるもの」であり、意識的にかけようと思ってもかけられない人はかけられないものであると認識しています。レガートで歌える条件というのが必須となります。それゆえに、ビブラートがかかるかかからないかは個人差もあるので、絶対に全員ができるようになるとは言い切れないものです。

演歌の場合、いわゆる「こぶし」と言われるようなものは、先に述べたビブラートとは異なります。口の中の空間を変え、呼気圧で波を打つように、あえて自分から波を打つように押し出す印象を受けます。ロックやポップス場合、これはもう千差万別なので定義づけが難しくなるのですが、中には体で呼吸を支えきれずに息もれ状態を起こしながら、痙攣のような細かな振動で発声する人もいますが、これはいわゆる「ちりめんビブラート」と呼ばれるものであり、声楽的な大きな波長のビブラートに比べると、楽器の扱い方としても少々不自然に聞こえるものになります。

こぶしもちりめんビブラートも、気をつけなければ不自然な「揺れ」になることがあるので、体と声という自分の楽器と音楽的に効果的な奏法という観点から、できる限り自然に聞こえるものを追及されるといいのではないでしょうか。(♭Я)

 

 

A. ビブラートはもともとイタリア語の動詞vibrare「震えさせる」の過去分詞(受け身の意味)なので、直訳すると「震えさせられた」という程度の意味です。要するに「震えている」ということなんですが、受け身なため「自分で震えている」のでなく、何か(神?)が「震えさせている」という感覚のことばです。

そういうわけで、クラシックの声楽では、何か特別な仕方を習うのではなく、普通の声楽の教師は自然に震えるのを待ちます。「自分で震えて」もいいことは何もないわけです。逆に不自然にいつも声が震えているときは何か根本的に発声の問題があることが多く、息のトレーニングからきちんとやり直します。当面(意識してやめられるものではないと思うのですが)「ビブラートをかけないように」いわれます。

演歌のビブラート(こぶし)は、これとは反対に「意識的に喉で音程を上げ下げしている」と思います。これはよい悪いではありません。例えば弦楽器はビブラートをかける練習を「意識的に」します。ほとんど上級者と言っていいレベルになってからですが、肘を動かしたり、手首を動かしたり、指を動かしたりして、音を動かすのです。演歌のビブラートはこれに似ていて、発声の基礎ができあがってから(クラシックの意味で自然なビブラートが出るようになってから)、動かす練習をするといいのではないでしょうか。

ロックのビブラートは人によってかなり違う気がします、一概に論じることはできないでしょう。より個性が重要なジャンルと思いますので、さまざまではないでしょうか。(♭∴)

 

 

A. ビブラートは英語で言うとバイブレーションで、音の揺れを指すことばです。ひとことに揺れと言っても揺れ方はさまざまです。

大きくわけて「音量の揺れ」と「音高の揺れ」があります。どちらも広義のビブラートですが、クラシック音楽においては「音高の揺れ」のみをビブラート(以下、狭義のビブラート)と呼び、「音量の揺れ」は別の名称(グルッポ、トレモロ等)で呼ばれることが多いです。

演歌のビブラートは、おそらく「こぶし」のことを指していると思われます。こぶしは音量を揺らすタイプの(広義の)ビブラートです。都はるみさんの『アンコ椿は恋の花』における「あんこ~」の伸ばしの部分が顕著な例です。オの母音を何度も打ち直すかのようにして音量の揺れを生み出しているのがわかります。

演歌では狭義のビブラートを使う歌手もいます。北島三郎さんの『函館の女』における「は~るばる来たぜ」の最初の伸ばしはこぶし、「函館へ~」の最後の伸ばしはビブラートだと思います。

ロックのビブラートについては、ロックの指し示す範囲があまりにも広すぎるので一概には言えません。ここではクリスタルキングの『大都会』の「ああ~果てしない~」の伸ばしは、狭義のビブラート、つまり「音高の揺れ」です。

狭義のビブラートは発声技術的には、揺らそうと思わないでやっていることが多いです。音圧が上がると自然に数Hzの範囲で音高は上下しますので、それを止めずに解放するだけです。しかしながら、筋力や息の量が不足していると揺れ幅はその範囲内に収まらず、もはやビブラートとは呼べない不安定で不快な声になってしまいますので注意が必要です。(♯∂)