A.身につける経験で一番わかりやすいのは自転車でしょう。一度乗れると二度と乗れなくなることはありません。体が覚えているからです。似たものではスキーやスノボ、スケート、サーフィンなど、体でバランスをとるものが多いようです。竹馬や一輪車なども、覚えるときに、マニュアルや理論など使わなかったでしょう。もし、それがあったとしても、それとあまり関係なく身につけていたはずです。理論とあまり関係なく身につく、発声もそういうものだからです。
ですから、私がいろんな理論を、迷っている方から、あれこれ言われても困ると思うように、私の本やブログを読んで文章であれこれ言われても…という人もたくさんいると思います。確かに、その通りなのです。
しかし、言語はツールであり、使いようによっては役立つし、トレーニングというわざとらしいものをわざわざ提唱した以上は、言語化するという説明責任も負うことになります。
体が覚えるためには、「体が覚えなくては死ぬ」というくらいの気持ちをもつことです。例えば、戦いでは、頭の判断でなく体の判断で行動しないと危ないわけです。危険なところへ行ったり、危険なことに関わるときも同じです。状況で信じられるのは体だけとなると、体も敏感になるものです。
どうやってできるようになったのかを、できた人が、必ずしもノウハウとして取り出したり、説明できるわけではないのです。トレーナーは、そのプロセスとかやり方を教えるわけです。しかし、それは、大体は自己分析、教えられた経験、教えた経験の3つで標準化しているのです。それでも、他に人全員に当てはまるわけではないのです。
マナー、モラルなどもその類ですが、チェックはしやすいです。体に何かを身につけるには、そのプロセスで、それらのみえないものを得ていきます。みえないもの、語れないものを身につけていくのです。(♯)