2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧
A.心も身体の伝達も、そのままストレートなのは、必ずしもよくありません。人格に関与はしない建前で、身体技術や精神修行は行われているものです。そのような点で、寺子屋と手習いのよさを見直す時期にきていると思います。(♯)
A.結論を知ることよりも問題をたてることの能力をつけさせるためです。(♯)
A.新生するには、眠って起きることで充分です。それもできないなら、生まれ変わっても同じです。気づくかどうかは、本人次第です。(♯)
A.すべての音符を正しく声に変換していくのでなく、それが表現しているものを、より強く表すように省いたり変えたりしてすることでしょう。同じ時間でぴったりと正確に歌うならPCのソフトですみます。(♯)
A.聞きたい音を聞きたいように聞いていると、出すときも、その特徴がよくも悪くも出てしまうものです。よいものが入って、よく聞いていると、よく出ます。それが文化というものです。蓄積されて育ちや風土が出るのです。個性もまた、個の文化なのです。(♯…
A.これまでの自己の解体と脱構築です。頭より体の方が、自由度が高いからです。そして、それは生きている限り終わらないことということです。自分の離脱、より高度な身体の同期のために、トレーナーやメニュを使うのです。(♯)
A.わかりにくいことを伝えるには、そのジレンマ、葛藤をためる時間が必要です。熱がないと、ことばは伝わっても本質は伝わりません。わかりにくいままに伝えたらよいのです。(♯)
A.ことばを選ぶと、それは、覚えて欲しくない、考えてほしくないということになるわけです。言質をとられないようにして、ことばでの説得をしないようにする、それでは何の会話かとなります。官僚的、事務的と言われる応答がそうでした。今の政治家にも多…
A.「ここは、何をしているのか」という問いでなく、表現していく人は、ここでも具体的に活動しているのです。どんな場でも、意義はそこにいる人に委ねられています。 オペラやミュージカルでも、なぞっているだけの人は、出力という形しかとっていません。…
A.何事につけても、交わるのが異なるもの、遠いものほどスケールが大きくなります。(♯)
A.自分ではやれてしまうと、そこで、みえないものをことばで理論化できないのです。才能に頼るのでなく、ことば、イメージという技術を使うことです。(♯)
A.Giftは与えられたものですから、頼ってはだめです。それは捨てるか、よそに取っておくとよいでしょう。使うと、なくなるものもあり、限度がないものであるからです。あるいは、瞬時にわかる、できるということで、こうしたらああなると思い通りわかった…
A.地震や津波のくるところに住んでいるん本において、ブレーキのかからない車をつくるのとリサイクルできないものをつくるのは、同じ愚でしょう。(♯)
A.ADHD注意欠如移動性障害をググってください。(♯)
A.何事も、その場にいないと、何も始まらないのです。(♯)
A.トレーニングにおいては、声楽の基本は、最低限の条件をクリアするために、長い期間を必要とします。そのために基本ということが誰でもわかりやすいともいえます。それがポピュラーにとっては不要のことというより、ポピュラーを歌うなら、もっと優先し…
A.「ブレスヴォイストレーニング」では、次の点から声を追求しています。 1.ことばや音楽のイメージ、伝わる実感を中心に声を深めていく 2.必要以上の響きをつけない(コントロール力を優先する) 3.体からの伝えたいことばが、そのまま声にのってい…
A.定まっていません。本人がメニュを組めるようにしていきます。 1.全身から声を出すことを優先する体づくり(深い声、深い息) 2.レガートのスケールで、一声からプロ並みにしていく(音色) 3.メロディ、高低アクセントより、ことばの強弱の中でフ…
A.人を助けたいのもエゴ、煩悩です。最大のエゴです。それが他人を巻き込んでいくのでしょう。それも無でなく、自らのあり様を求めるのです。それには、徹底して今の状況を観ることなのです。幸せに感じたいのも煩悩です。それを肯定し、大きくしていくこ…
A.「自由自在」という受験の参考書があります。周りの状況、自分、そして周りの状況を観ることです。 世間、自分、行動、つまり「今、ここ、私」の関係づけを知ることです。 サンスクリット語で、サマタ=止、ヴィパッサナー=観で、あのサマンサタバサ、…
A.六識は、五感に意を加えたものです。さらに、記憶の阿頼耶識(蔵識)があり、そことの間に未那識(まなしき)があります。これがエゴとして働くわけです。(唯識説―大乗仏教)
A.体ばかり使うのはよくありません。それも自己陶酔や幻想に陥るものです。他人からも押し付けられたままでは洗脳ですが、それは、目的が何であり、他人が誰かによります。(♯)
A.頭ばかり使っていては、天狗という魔物になってしまいます。(♯)
A.世の中の音、つまり、声を聞くので観世音、その衆生を救えば菩薩ということです。(観音経―法華経第25品)般若心経には、観自在菩薩という名で出てきますね。(♯)
A.悪人成仏、悪人正機説というものです。(♯)
A.一人で学ぶと、自ずと知りたいことしか知ろうとしない偏りが生じ、盲点(スコトーマ)だらけになるからです。(♯)
A.暗誦の禅師も文字の法師もダメです。瞑想していても、研究していてもダメということです。実践していても、それがよいのかは自分だけではわからないものです。世の中も他の人のことも知らずに、一人ですぐれることはありません。(♯)
A.型、技(術)と体づくりのためといえましょう。(♯)
A.証明はできません。完全とは、系のなかに証明不能な令題のないこと、矛盾する令題のないことです。これについては、20世紀、ハイデルベルグの不確定性原理とクルト・ゲーデルの不完全性定理、パトリック・グリムの神の不存在証明(1991)、グレゴリー・J…
A.一切衆生悉有仏性です。ありがたさがわかるというのは、何か共鳴するものが自己の心中にあるのですから、なれるということです。(♯)