A.しぜんな声とは、全身を楽に使って出す声でしょう。
これでは漠然としていて解りにくいかもしれないので、「歩く」ということに置き換えて考えてみましょう。靴の影響もあるので、屋内を裸足で歩くとしましょう。
しぜんな歩きとは、どういうものでしょうか。それは、のんびり歩くとき・普通の速さで歩くとき・早く歩くときそれぞれで、少しずつ違いますが、のんびりゆったり歩くときに、大きく手を振って歩く人は少ないと思います。逆に、なるべく早く歩くときは、しぜんに手を大きく振るでしょう。また、姿勢のよい人・悪い人、がに股の人・内股の人、お腹の出ている人、それぞれの人のしぜんな歩き方は、少し違ってくるでしょう。
このように、声も、生まれた時から使い続けている言語や方言、耳に一番入ってくる家族の声の出し方などに影響されて、オリジナルな筋肉配分に構築されているので、しぜんな声は人それぞれ違ってきます。
では、正しい歩き方、あるいは美しい歩き方、効率のよい歩き方は、しぜんな歩き方と同じなのでしょうか。おそらく違う人がほとんどでしょう。ですから、正しく美しく効率よくするためには、歩き方の練習やストレッチなどでの姿勢の矯正など、いくつかのことに根気よく取り組む必要が出てきます。
このように、正しく美しく効率よく、歩くトレーニングをしている間は、本人にとってはふしぜんな歩き方になります。これを根気よく続けることで、はじめて、しぜんな歩き方が、正しく美しく効率のよい歩き方に近づいていくのです。声も、同じでしょう。(♭Ξ)
A.出している本人にも聞いている人にとって違和感のない声でしょう。一番リアルなしぜんな声は赤ちゃんの鳴き声と言われることはありますが見るべきは赤ちゃんの脱力と声の鳴り、お腹の使い方であり声そのものではありません。
現在の日本においてしぜんな声というのは聞くほうが難しいです。まだ子供の声が騒音などといわれる頃より前の日本にはしぜんな声がたくさんありました。それこそ、商店街や夫婦喧嘩、子供の遊んでいる声、町中にしぜんな声はあふれていました。テレビから聴こえてくる声のほうが妙に丁寧すぎるくらいでしたが、今はテレビの中のタレントさんや芸人さん達のほうがよっぽどしぜんな声でしゃべっています。見ている側の方がしぜんな声というものから遠ざかっているのではないでしょうか。
アニメが市民権を得て、初音ミクが登場し、テクノポップが流行りだして「しぜんな声ではない声」にも需要が生まれてからはしぜんな声ばなれすら生まれつつあると思います。
しかしテレビを見ると報道ニュースにもドラマにも音楽番組にもお笑い芸人さん達が多数出演しています。彼らはテレビの中で聞けるしぜんな声の人たちです。彼らはライブや劇場、ネタ番組などで時間やたくさんの規制のある中で笑いをとるというとても難しいことを仕事にしているひと達でその経験、声の張りは現代人は見習うべきものがあります。
一般の方々がしぜんな声を手に入れるにはしぜんな声を出すことよりも大きな声を出すことになれることです。
彼らは人に笑いを伝えるために大きな声でネタや漫才をやります。そこに「いい発声」など考えている人は皆無でしょう。しかし大きな声で何度もネタあわせをしてライブで客前に立つことで彼らはしぜんな声を手に入れています。
しぜんな声というのはいい発声を勉強したらでてくるものも多少はありますがまずは大きな声をだすという作業からしか生まれないということを理解するとわかりやすいかなと思います。(♭Σ)
A.しぜんに息を吐いて、息を吸って声帯が鳴って声を出すこと。喉を声が素通りするような感覚になればいいですね。まず、呼吸が大事です。息を吐きながら声帯を震わすので、声帯が効率よく振動できるように、息の量、速さなどが肝心です。ちょうど口笛を吹くのに、息が多すぎてもダメ、速すぎてもダメ、そして唇がちょうどよく湿っていなくてもダメですよね。声帯も、うまく粘液が出ていて、そして横隔膜を使って息の量とスピードを調節していかなければいけません。そのバランスが難しいですね。(♯Δ)
A.発声練習や歌うときにおいての「しぜんな声」は一言で定義しにくいところがありますが、日常生活においての「しぜんな声」は?と考えてみると、それは例えば、嬉しかったり感動したときに思わず発する声(すごい/わぁ/やったー)、何かに驚いたときに発する声、人目を気にせずに大声で泣いたときの声、などだと思います。泣き声で言えば赤ちゃんの泣き声も「しぜんな声」と言えます。これらの状況では、先に感情があり、(意識的に声を作り込むことなく)その感情に沿ってしぜんに声を発しています。驚く、喜ぶ、泣く、それぞれ違った感情に伴った声を発するので、明るい、暗い、高い、低いなどの違いも当然ありますが、どの場合も「しぜんに声を発する」ことにおいては同じです。ようするに「しぜんな声」とは「しぜんに発している」ときの声です。
このように見ると、「しぜんな声」の枠組みはとても広いのだと思います。上記の日常生活「しぜんな声」は実は意外と身体を使って声を発しているのです(実際にどうかはその状況になったときに観察してみてください)。ここで発声に戻ったとき、同様に身体を使って発する方向に持っていくことで、(余計な力みや意図的なポジションにすることなく)声帯が本来の声を発する、と言えるのではないでしょうか。(♯α)
A.声は気管の一番上にある「声帯」という薄い粘膜が振動して出る仕組みになっています。声帯は薄い粘膜でできていますから、とてもデリケートで余計な負担を掛ければすぐに壊れてしまいます。例えば、大声を張り上げて喋ったり歌ったり、または、風邪を引いて酷い咳を繰り返したりすると、声帯は炎症を起こし、腫れあがります。そして、声帯がきちんと合わなくなって、その隙間から声が漏れていってしまいます。こういった声はしぜんではありませんし、風邪ではないのに声帯が炎症を起こしてしまう発声も、しぜんな声ではありません。
では、しぜんな声とはどのような声のことを言うのでしょうか?軽く、「ン」「ン」「ン」(ハミング)と頷いてみましょう。喉に何の違和感も無く、鼻から息が抜けている感じがするでしょうか?その時、呼吸はちゃんと腹式呼吸で、吐いたときにお腹が凹むでしょうか?それができたら、ha~と子音のHを入れて息を吐いてみましょう。
お腹の支えは忘れずに、先ほどの「ン」と同じ喉の状態で出せたら正解です。その声が出せたら、「おはよう」「こんにちは」など、日常使う言葉を先ほどの発声でしゃべってみましょう。声がクリアで前に飛んでいくことをイメージします。
発声時に咳払いをしたくなったり、何かしらの違和感を覚えるときは、その発声はしぜんではないということです。普段何気ない会話をしているとき、きっと喉は楽になっているはずです。そのまま息をたくさん使ったり、響きをつけたりすること、それがしぜんな声になるのです。(♯Å)
A.しぜんな声とは、あなた自身が本来もっている「声」そのものです。「声」は世界中にひとつしかない自分だけの楽器です。この大切な楽器を活かすのも、ダメにするのもあなた次第です。
「声」は「声帯」から出ています。簡単に言うならば、舌の奥の気管の上についている薄い粘膜が振動して声が出る仕組みです。目に見えないところにあるだけに、無理な使い方、間違った使い方をしてしまうと壊してしまいますので、自分にあったトレーナーを見つけるとか、正しい発声を身につけるなどして、大切に大切に扱わなければいけません。
さて、「声」ですが、その時々に合わせて色々な声が出る、というのも正直なところでしょう。口の開き方や、息の出し方などによって、落ち着いた声が出せたり、またはちょっと軽薄そうに聞こえる声だったり・・・。誰しも無意識で使い分けていることがはずです。どんな声が出たとしても、それがあなた自身の声なのです。
では「しぜんではない声」、というのはどういうものでしょうか?
声帯に負担をかけて、無理やり押し出したり、叫んだりする声です。発声して「痛い」「違和感がある」などと思った時は、どこかに負担がある証拠です。もちろん、表現するにあったってはシャウトしたりしなければならないこともあるでしょう。そんなときでも声帯が壊れないようにするために、日頃の正しい訓練が必要になってくるのです。声は体の筋肉を使って支えます。腹背筋や、首の筋肉、口の中の筋肉など、あらゆる筋肉を駆使して、発声するのです。喉から出すふしぜんな声ではなく、体全体を使ったしぜんな声を身につけられるよう、がんばりましょう。(♯Å)
A.「しぜんな声」とは言葉では簡単に言えますが、しっかりと定義することが難しい言葉だと思います。対句で考えてみると「無理な声」ではないということです。「無理な声」とはどんな声であるかといえば、「苦しい声」、「喉が嗄れる声」、「音域が狭すぎる声」、「誰かの声真似をしながら出している声」、「無理に高く、または低くした声」などが例に挙げられます。このような現象が起こらないように、しっかりと体でコントロールされた声が、聞いている側にはとてもしぜんに聞こえるのです。ゆえに、このような声が「しぜんな声」であると私は思います。少なくとも、喉に過度な負担を掛けて声を出しているということが起こっているのであれば、それはふしぜんであると私は思います。呼吸と発声を一から見直す必要があると思います。それを取り除くためには、身体でのコントロールが必要になります。ただし、身体でコントロールをするためには、高性能な制御装置が必要になります。その制御装置は、もともと操作しやすい人もいれば、なかなか操作に慣れない人もいるのが現状です。操作をなじませていくためには、レッスンによって自覚と繰り返す作業によって、自分自身の制御装置の精度を高めていくことが必要であると思います。無理な部分を自覚すること、無理をし過ぎないように制御すること、これがしぜんな声を出すことにつながっていくと思います。(♭Я)
A.声帯に息があたって、声帯が振動することで声が発せられます。
ところが、声をよくしようと取り組んでいらっしゃる方の中には、喉にものすごく力を入れているケースがよく見受けられます。
がんばり過ぎて力んでいる方、誰か憧れの歌手の声を真似て不しぜんな発声をしている方、お腹の支えをがんばるあまり、体全体に力が入ってしまっている方、10人いたら10人とも癖や身体の使い方は異なります。
しぜんな声を出すには、身体がリラックスした状態で、発声するのがよいです。ため息をつくように、「ハー」と声を出してみてください。身体はただの筒だと思って、どこにも力を入れません。次第にそのため息の「ハー」に声を混ぜてみてください。「アー」と暖かい息を手に吹きかけるような感じで発声していきます。
これが、しぜんな声だと思いますが、これではパフォーマンスに使えませんので、おなかの支えや共鳴などを駆使して、声の力を付けていく必要があります。そこからは訓練になってくるのだと思います。でも、まずはご自身の、しぜんな声と、しぜんに出ているときの身体の様子を自覚することはとても重要だと思います。(♯β)
A.しぜんな声とは、まず第一に構造に反しない体の使い方をして、ひとつの生き物としてのびのびと振動している声だと考えています。
例えば、犬が吠えたり鶏が鳴いたりする声を聴いてしぜんな声かどうかと考える人はあまりいないのではないでしょうか。彼らは、本能に従ってコミュニケーションのため、あるいは生存のために声を使っています。人間も同じように、声を出す本人も聴き手もストレスを感じない声がしぜんな声であるといえます。
加えて、目的や様式に合っているかどうかもしぜんか不しぜんかと考えるときに考慮すべき点ではないかと思います。たとえば、オペラ歌手や能楽師の声はしぜんかどうかと考えたとき、その文化様式や背景なしには断定することはできません。日常生活の中でも、芸能として声を使う場合でも、その場にふさわしいか、背景を把握しているか、目的に合っているかということはとても大切です。
声を出すこと自体が目的ではなく、手段であってほしいということです。声を使って何をしたいか、誰に何を伝えたいかという視点からも一度自分を振り返るのは大切なことだと思います。(♯ё)
A.「しぜんな声」と聞いて思い浮かぶこととして、普段お話をする時の声、赤ん坊や幼児が話したり、泣いたりするときの声です。所謂喉で作った声ではない声のことです。
まず「ふしぜんな声」というのは、どの様な状態、状況の時に出易いかを自分なりに考えてみました。大概は心身共に緊張し、考えてしまう時に「ふしぜんな声」が出てしまうのではないかと思います。
心身ともに緊張すること自体既にふしぜんなことです。その様な状況に陥った場合「あんな声を出さなければ、立派な声を出さなければ」などと考えてしまい、その考えが脳から喉へ伝達し、喉で声を作ってしまいます。その状態で出した声は「固い、詰まっている、響かない、通らない」ことが多いです。つまり体を使わない、使えない状態で声を発しているということが言えます。
「しぜんな声」とは、「ふしぜんな声」とは逆に心身共にリラックスし、何も考えずに体を使って発声している声を指すものと思います。
「しぜんな声」とは良く通ります。冒頭で書きました赤ん坊や幼児の話し声、泣き声は良く通ります。何も考えてないからでしょう。しかしこの赤ん坊、幼児の声こそが「しぜんな声」の理想系ではないかと時折思ってしまうのです。
声楽など歌のレッスンで「声がしぜんだね」と言われる経験がある方もいらっしゃると思います。その時は結果的に「しぜんな声」の状態になっているのではないでしょうか。
声を生業として活動する方々は、普段の生活、トレーニングから体全体を使って発声することを強く意識して何時どんな時でも「しぜんな声」が発せられる状態にすることが大事であると、私は今まで以上に強く感じました。(♭й)
A.身体の使い方に無理のない発声から生まれた声。
生まれたての赤ちゃんの鳴き声がふしぜんに聴こえることがないように、動機と行動が結びついた声。
もしくは深い呼吸によりコントロールされ本来生まれ持った声を生かしたもの。
ふしぜんな発声には、必ずふしぜんな身体の使い方をしているといえると思います。
しぜんな声を出すには、まず自身の声帯を含めて身体ことをよく知ることが大事だと思います。(♯⊥)
A.「しぜんな声とは、ふしぜんな声です。」と、きっぱり言ってしまうと「えっ?!」とお思いでしょう。「しぜんな声」とはなんだろう・・・と興味をもたれるということは「自分の声」に疑問や違和感、そしてもっとよい声になりたいと思っている方々でしょう。そもそも同じ人といっても一人一人身体の形や使い方の癖、そして性格や考え方は違い、それらに共通するしぜんな声はありえません。そして「自分の声」は、実は日常的に耳にする「周囲の人達の声」にかなり影響されています。生まれてから日常的に育まれた声、そう、正にこれこそ「しぜんな声」です。しかしながら皆さんが求めているのはそんなものではないはず。ではその逆、「ふしぜんな声」ならばどうでしょう。思いもしなかった感覚、想像もしなかった声、そんな「ふしぜん」な所に皆さんの求める声が隠れていると思います。(♭Ч)