A.本当はありません。発声法(方法論)の正誤でなく、目的によるトレーニングの重点の違いにすぎないのです。どんな方法でも、どう使うかが大切だということです。
私は正誤の議論をしたいのではありません。日本の、特に浅い声の歌手、役者、トレーナーに対して、欧米を含め、世界中の民族の共通して持つ条件の欠如を指摘しています。芯のない声にひびきをつける(低音のない高音)のは、根のない茎のようなもので、大きな花はつけられないということです。生まれつきとか、のどが強いとか、鍛えられているからあのような凄い声が出るのでなく、育ちや日常レベルでのしぜんな鍛錬(というのは、年月が長いと無理しなくとも、必要条件が宿る)によるものなのです。そして、それこそが本当の意味での日本人に対してのヴォイトレの必要性です。つまり、本当の意味で欠けていることの補充です。(♭)