A.私は私の見解を肯定するためでなく、他の専門家の意見や考えをできる限り、受け入れて参考にしようとしています。
私にはセカンドオピニオン、またはサードオピニオンの見方を知ることを、他のトレーナーの大半はそれに対し、自分と相手とのレッスンだけですから、それだけに死角があるということです。他のトレーナーのトレーニングを比べることで、初めて日本人や日本の文化と国際レベルでの、声との比較や対立点を明らかにすることになるのです。
そういうヴォイトレは、
1.一般向き、とっかかりとしてわかりやすい
2.そこからの深みがない
3.声楽や発声への誤解や短絡的な批判が目立つ
3.については、日本の声楽家も実績を残せていない分、自虐的に、そう把握されてしまうのもやむないレベルと認めざるを得ない現状もあるという言及があり、私としては興味深いものでした。自分を主体とし、原点として捉えなくては、こういう議論は机上のものとなります。だからこそ、トレーナー自身の声はどうなのかということに切り込めるからです。その見本としての声の力がもっとも本質的なこととなるからです。
それにしても、日本のトレーナーの声というのは、どうしてこうも力がないのでしょうか。また、そういうことさえ思わない人がほとんどであるなら、何を使っても、効果などないでしょう。一声聞いて、効果などさしてあり得ないと直感できないのでしょうか。(♭)