A.みなさんは怒声をあげるときにどこに声を当てて声帯はこうやって引っ張って、と考えているでしょうか。サッカーの観戦で、応援するチームに点が入って、うわーと声が出るとき、事前に声帯はああしてこうして、と考えるでしょうか。そんなことを考えて、怒声や歓声をあげれますか?ほんとうにドラマティックな高音を歌うときも、おなじです。声帯をああしてこうして、、、と考えながら歌うと高音は失敗するか力づくになります。それは、ほんとうは怒ってはいないのに、声帯を操作して怒声を出すようなものです。
声帯はわれわれが手動で操作するには、あまりに複雑でデリケートです。 そもそも、そんなことを一音一音、考える余裕が本番であるのでしょうか。それにじぶんで声帯を緊張させてつくる「人工的な鳴り」よりも、感情の高まりから来る声帯の緊張でつくられた「動物的な共鳴」のほうが、大声量を生みます。むろん声帯は、動き方にセオリーがあります。確かに高いところはとくに喉頭輪状筋が、はっきりと動きますが、それは自力で動かそうとしてなせるものではありません。(♭∀)