A.感心することがあるとしたら、そこまでいろいろとぶっ壊して、自由な空間ができ、そこで音からそれていないケースです。肝心なところできっちり戻せなかったらデタラメということになってしまいます。サラボーンやサッチモもそうでしょう。いわゆる型破りな歌というのは、仮にメロディがそれても、その自由さをもって、さらにいいものを表わしています。
それらも一つの材料にしか過ぎないわけです。スポーツでも音楽や芸術活動でも、一つの時空が自分の支配下におかれて、自分のものがそこに自由におけるようになって、はじめて周りを従えていく型になっていくのです。これが本当のファインプレーです。
優れたことを発見するときに上達するのです。そこにもっていって違うことをやるけれど、それが結果として正解になる。正解という言い方はよくないですが、より伝えられる方を選ぶのです。そういうフェイクなら、あなただけの作品です。