A.発声というものが、表現や音楽などから離れ、科学的な分析の光があてられる、というわけではまったくない、と思います。何というか、内臓が沸騰するような、怒りとも憎しみとも愛とも喜びともいえぬ激しい感情が、呼吸の力を生みます。りきみとはまた違う強烈な筋肉の収縮の持続が、パッサッジョおよびフレーズの継ぎ目でなくなってしまうことは、音楽をとめてしまうことにつながります。もちろん、筋力で歌うというのは、どこかの筋肉を鍛えてそこを使って歌うというよりは、憤怒で全身の筋肉が硬直するような瞬間的で強力な収縮を使うということに近いです。とにかくそういう深い部分で打ち震える激情的感動を引き出すということが、重要な課題です。呼吸法は、スーーーーと息を吐くことだと教えられ、それは真実ですが、実際、われわれが日常のなかで激情に駆られるときは、呼吸は、パニック症候群のように不規則で肺全体が脈動します。この肺全体が激しく動く状態で無いと、たとえば、ベルクのオペラのような、叫び散らすような表現は不可能ですし、ベッリーニのオペラに(マリアカラスがそうしたように)真実味を与えることもできません。(♭∀)