Q.歌い手の世界での歌の評価は、かなり人としての好き嫌いに影響されていませんか。
A.私は、かなり外側から歌や声をみているからぶれないでいられるのです。ポピュラーはポピュラーでよいのです。でも、どんなクラシックもポピュラーだったのです。
発声や歌に関しては、その時代の人の心を捉えられるものが、のちに一流と認められることは、甚だ少なくないと思います。私が、中経出版の2冊目のヴォイトレ本(「人に好かれて、きちんと…」)に、変わりにくいものとして「般若心経」を入れたのは、そのためです。
Q.元気を与える歌はどう歌えばよいのでしょうか。 A.最近、流行の「『元気』をもらった」と か「『勇気』をもらった」というのは、あまりに安易に使われているのでは、と思います。そのなかのいくつかには、大きな力の働くものもあると思います。一緒に生きている人の心にストレートに、世界中どこへも時代が変わっても(たとえば死んだあとでも)を与え続ける何かがあります。でも、歌は、どんなものもそういう力をもつと思います。 Q.声を第一に考えると、歌い方が今の時代や流行に合わなくなりませんか。 A.私は、声に対して、現実と理想、つまり、仕事と芸術、今と永遠の2つの世界を応用として対置しています。ヴォイトレは、狭義では、体を声を出せる楽器として完成させていく。さらに楽器として与えられている中で、最高の音を出せるようにしていくのです。ピアノの楽器としてのよさ、一音の音色のよさは、ピアニストが一流として弾けるものであり、曲をヒットさせる条件の一つですが、イコールではありません。 しかし、ヴォイトレは、広義では、ことばや歌としてすばらしいものであったり、人の心をとらえるものとしての声、声の使い方であったりします。ですから、現実を直視もするわけです。