Q.「芝居や歌は、人によって判断が異なるので、多くの人の意見を聞いてみるとよい」というアドバイスをされました。
A.しかし、プロデューサーや演出家の間でも、大きく見解が分かれることもあり、まして声については、あまり参考になりません。
Q.主観―好き嫌いや個人的な思い入れーを切り離して聞くことは、できるのですか。
A.素人の聞き手や若いトレーナーには、到底できないことと思っています。芝居や歌への愛情をも突き放した「耳」の力がいるのです。
Q.誉められたことはあっても、悪いところを指摘されたことはないのですが。 A.他のスクールやステージでは皆にうまいと言われ、自分がこれ以上何をやればよいのか、わからなくなって来る人はたくさんいます。プロ歴10年以上のベテランのレッスン受講生を何人も抱えている私のところでは、いかに自信をもっていようと、そうした若い人やカラオケ好きの歌は、ただ聞き心地が悪くないように作られてきただけの、第三者なら退屈極まりない歌に過ぎません。確かに、アマチュアのなかではうまいのでしょう。でも、100人くらいでカラオケ大会をやったら、そういう人はいくらもいるし、お笑い芸人だって器用にこなせます。つまり、何でも歌える、それで通じるなどというのは、土俵が低いからに過ぎません。 Q。プロとして歌っている人なら、トレーナーとして指導ができるものでしょうか。 引退してから、その肩書きで生徒に教えているトレーナーにも問題が少なくありません。天性の才(というか早熟の才)に恵まれて歌っていた人ほど、他人を自分と同様のレベルにまでにも、引き上げることはできません。これは真似させる手本が自分だからです。習いに来る人もその人のファンだったりするからです。自分のコンサートの観客集めをかねて教室をやっている人もいます。 Q.トレーナーの現実とは。 A.トレーナーの多くは、プロ歌手の道を全うできなかった人なのですから、その自覚をもって、相手を自分以上のレベルにできるようにすべきです。自身の経験をそのままに与えてはなりません。(時代も違います)どこでも、生徒は先生の半分の力もつかない人ばかりです。私のように、愚鈍であると自覚すると、自分を最低限の基準として考えます。自らの足らなさを知るので、有能なスタッフやトレーナーに協力を求めます。常にプロセスをしっかりと検証して、内容も体制も絶えず変えていきます。本当の成果は、5、10年先に問われるものです。地道な積み重ねのおかげで、今は詩吟、邦楽、エスニック音楽などの指導者から、次代への指導法の研修を頼まれます。つまり、トレーナーもまた一芸を極めるということなのです。 Q.トレーナーの言うように、トレーニングすれば、誰でも何でもできるように、あるいは、誰か他の人のようにできるようになりますか。 A.私と同じ声になれる人も、そうはいないでしょう。むしろ、長くやっていると、大したことは何もできないと、自らの無力さに打ちひしがれることになります。しかし、限界を知ってこそ、真の意味で自らの個性に目を向け、伸ばすことができるのです。何らできないからこそ、何ができるかということに徹底して集中して、発見し創造し、それを伸ばしていくというのは、まさに100の声から1つの声を選び育てるヴォイストレーニングと一致していませんか。 Q.学校の合唱団の先生も、トレーナーにできますか。 A.少年野球のコーチは、地区で活躍できるレベルに彼らを持っていくことはできるでしょうが、大リーグの強打者にできるかというと、それは全く別問題です。どのレベルで問うかということは、かなり大切なことなのです。(♭)
A.歌い手として徹底したプロ意識があるなら、自分ののどは他の人に使うよりも、自分の聴衆のために少しでも休ませておかなくてはなりません。そこは、楽器のプレイヤーともっとも異なります。教えるのは、確かに別の面でプラスになりますが、人の声を育てることは、自分で歌うよりも大変なところがあるのです。