発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q.私は、声を張りあげて歌えません。そもそも歌に声量は必要なのでしょうか。

A. 最近は、ウィスパーヴォイスや、ほとんど小声で息も使わずに、語りかけるような歌も氾濫していて、マイクや音声加工に重きを置いている分野が、どんどん広がっているようです。そのような曲を、好んで視聴していると、そのような声の使い方が、身についてしまい、声を張り上げるどころか、大きめの声さえ出せない体になってしまっても、なんの不思議もありません。そもそも、マイクロフォンが歌で使われるようになってからは、あまり声量を必要としない、視聴者の耳元で、語りかけるような歌い方が、脚光を浴び、そのような歌手がもてはやされたりしてきました。

それでも、強い感情や感動を伝える時には、大きな声を使って歌うのが、一般的です。大きな声量を使わない曲は、今やたくさん存在しますが、大きな声を使わないのと、使えないのとでは、天と地ほどの差が、表現力にできてしまいます。呼吸練習で、呼吸の力をしっかり養い、なるべく大きな声も出すようにして、喉も体も傷めないように気を付けながら、体と喉を一歩ずつ強くしていけば、必ず、声を張り上げて歌えるようになります。(♭Ξ)

 

 

A. 歌に必要というよりは発声の基礎的な力をあげる上で、ある一定以上の声量は必要だと考えます。例えば1kmのランニングを行うのにも、毎日10kmのランニングを行っている人と、その日だけ1km走る人では感覚はちがうはずです。息交じりであったり小さな声で歌う表現方法を論じるのではなく基礎力として声量をある一定以上もつことは必要です。そして、声という見えないものを鍛えようと考えた場合に声域が広がる、声量が増えるというような部分は目安にしやすいです。

質問のように「歌う」ときにのみ声を張り上げることができないのか、そもそも声をはりあげることが苦手なのかは少しアドバイスも変わってきますが、単純に「おーい」「ヤッホー」という声でいいので強くだしてみる練習も重要です。あえて強い声をだしたり、ドアがしまるようなギーという声をだして声帯が合わさりやすくするようなトレーニングもあります。

また可能性として歌うときに息が多く出すぎていないかなども考えられます。息漏れという状態です。息漏れが多いと声帯が閉鎖しづらく声量も出づらいです。また声のコントロールもうまくいかないので結果的に声の技術だけでなく、ナチュラルさも少なくなっていきます。

技術や基礎的な発声ならば時間をかけてトレーニングしていくことで改善していきますが、必要ではなく「できない」という状態ならば声を一度ヴォイストレーナーに聞いてもらうことも必要かと思います。(♭Σ)

 

 

A. あなたにとって「声を張りあげて歌う」と思う人たちがいるのなら、その人たちとあなたの声は同じではありません。当然、歌うときの身体の感覚や求める声もそれぞれに違ってきます。例えばある歌手が身体を使ってしっかりとした発声をしただけなのに、聞く人によってはそれは声を張りあげて歌っていると感じるかもしれません。歌っているときの感覚は、歌う本人にしかわからないものです。ですから、他人に合わせて声を張りあげるという感覚を求める必要はないのです。また、声を張りあげる=声量がある、でもありません。

本人は声を張りあげたと思っても、それが響きのない側鳴りの声だったら聞き手にはちゃんと届きません。声量があっても、そこに技術が伴わなければ宝の持ち腐れです。

大切なのは、聞き手に声をお届けすることです。もし仮にあなたの声が細いとしたら、それがあなたの声の特徴であり持ち味です。ちゃんと自分の身体と声帯にあった声の配分があるのです。目下のところは、しっかりと身体を踏ん張る中で声を維持するという方向で、(声ではなく)身体の感覚に意識を持っていくのがよいと思います。(♯α)

 

 

A. 「どのような曲を歌うのか」という観点で、意見は差が出ると思います。聞き手の意見として、「音楽的にしぜんであり違和感がない」というのが重要な判断材料になると思います。つまり、張り上げすぎても、逆に弱すぎても、音楽的にミスマッチであれば、それは聞き手に不しぜんな印象を与えると思います。

大きな声や叫び声のような声でしか歌えない人は、もう少し繊細さを要求されることが多くなるでしょうし、声が弱すぎて、息漏れ声のようにスカスカの音しか出せないような場合は、もう少し楽器として磨きを掛けなければならないことのほうが多くなるのではないかと思います。

基本的な考え方として、自分の楽器が過不足なく使えているのか、強弱でいえば、f(フォルテ)であってもp(ピアノ)であっても自在にコントロールできる声であることを前提とします。その上で、歌う;曲の音楽的な表現部分に充分対応できる声というのを基準に考えてみてはいかがでしょうか。

聞き手にやかましく聞こえない、消極的に聞こえない、音楽的に不しぜんな印象を与えない、作品として充分成立させられる声。そんな声量を必要な声量と考えるのがよいのではないかと思います。表面だけで考えすぎず、深い視点で考えましょう。(♭Я)

 

 

A. 相撲取りに「体の大きさ」が必要かといわれると、必ず必要とはいえないと思います。一方必ず必要なのは「力の強さ」ではないでしょうか。同じように、オペラ歌手を目指すのでなければ、特に声量は必要ないと思います。マイクの使い方に習熟すればそれで充分だといえるでしょう。

しかし「感情量」は必要だと思います。「愛してるー」と大声で絶叫する必要はありませんが、ヴォーカリストの「愛してる」は、誰よりも伝わるものでなければなりません。歌でなくことばで構わないので、さまざまな感情を表現するトレーニングをしましょう。「怒っている」「悲しい」「嬉しい」など。

しかし、相撲取りの「体の大きさ」という持って生まれたものと違い、声は誰でもトレーニングで大きくしていくことができます。トレーニングの方向性としては「大は小を兼ねる」ため、大きい声を出せるようにしようとするのは、正しい方向であり、それを目指すべきだと思います。

「感情量」を補うものとして、フレーズ感、リズム感が大切です。一流のヴォーカリストは、絶対に「楽譜通り」には歌っていません。伴奏と絶妙にずれながら、必ずあうべきところであっています。それを用いて感情を表現できるようになりましょう。そのためにはまず、一流のヴォーカリストの音源を「ずれ」を意識して聞きまくることです。また、歌詞のイメージを膨らまして、歌詞の音読から自分なりの節を作っていきます。自分ならこう歌う、というところをたくさん作るのです。(♭∴)

 

 

A. 「張り上げる」というのは、さまざまな声の使い方のうちの一つです。必ずしもよいこととは限りません。また張り上げるのと密度の高い声で歌うのは少し違います。

私自身はクラシックの声楽と呼ばれるものの内、かなり広いジャンル(ルネサンス音楽からヴェルディのオペラ、現代音楽まで)を歌いますが、作曲年代や様式によって声の使い方は変えています。例えば14世紀のフランスの礼拝堂で演奏された多声合唱曲に大声は全く必要ありません。残響の長い石造りの教会では調和こそ尊重されるべきです。

対してロマン派のオペラでは、大編成のオーケストラを突き抜けて真っ先に観客に届くだけの声量と指向性が必要です。

つまり、何が歌いたいかによって求められる声は異なり、唯一の真理があるわけではない、ということです。

ただし、一つの技術として声を張り上げることを習得しておいて損はありません。筋肉と呼吸を最大レベルで活用しないと出せない領域の声を鍛えることは、間違いなくあなたの声を成長させてくれます。

また、最初に「張り上げた声」と「密度の高い声」は違うと書きました。密度の高い声は、ピアニシモであっても会場の隅々まで染み渡るように響いて聴衆の心を捉えます。大きな声が出せないのでしたら、密度の高い声を研究してみてください。(♯∂)

 

 

A. 声を張り上げて歌うことと声量とは、違います。歌に声量が必要かと言われたら、必要です。最低限の声量がないと歌にはなりません。もちろん、あなたが声量と言うのは、大きな声、大きなヴォリュームのことだと思います。それはマイクで調整もできるので、ただ歌うことだけでしたら、どんな小さな声でも歌うことができます。

ただ感情表現やメリハリというようなことで伝えることを考えたときに、不利になるということです。

もちろんヴォーカロイドのようなものも歌ですから、声を素材として考えるのであればそういう必要はありません。

それよりも声を張り上げて歌えないと言うことがどういうことなのかをきちんと考える必要があります。声が出ないため、張れないのであれば、トレーニングによって張れるようにすればよいのです。他の人よりも大きな声が出なければいけないのではありません。

張り上げて歌えませんと言うのであれば、張り合いたいのだと思います。個人差がありますので、できるだけ声量をつけるとか張り上げることもトレーニングした上で、その限界を知るなり、そのような歌い方を選択しないなりすればよいのではないでしょうか。(♭π)