A.体から考えていくと、声はその人なりのものとして発現していきます。
自分の体と他人の体はとても似ているが異なっています。トレーナーは他人の体を扱います。そこに入り込み、自分の体とのギャップから、それを埋める手段をメニュとして提示します。おのずと多くは自分自身が手本、見本とならざるをえないのです。
表現者たるアーティスト、歌手、俳優、アナウンサーなどのベテランはアドバイザーとしては最適なわけです。しかし、その自分の体というものがあるだけに、なかなか他人のよき声の指導者となれないということになります。
本人の技量やキャリアとしては優秀な先生が、自分の半分の力にも、生徒や弟子を育てられない例が多々あります。生まれや育ちに、日常生活の環境や習慣のなかに、どっぷりとつかっているだけに、歌手や俳優は、そこが異なる人が、結果として天性に恵まれていた人に学ぶのはとても難しいのです。(そこで昔は住み込みの弟子入りが、すぐれた養成方法としてありました)
また私も、先の第二期に、365日24時間、ほぼ2年間の養成所体制というものを意図しました。これは全寮制をよしとする欧米の考えにも似ています。ただ、すぐれた指導者と、ある意味で選ばれたエリートで構成しないと、大体はサークル化して形骸化するものです。今の日本の大学が、よい例です。スポーツのようにタイムや勝敗で結果が出ない表現の世界ゆえに、判断の基準や何を価値とするかという問題が大きくのしかかってきます。(Ei)