発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q5024~5030.シャウトして歌ったら声がガラガラに枯れて、かすれた声になってしまったのですが、1時間ほどしたら元に戻りました。(7)~(13)

A.一時的に炎症を起こし、休憩したとのことで、炎症が一時的におさまったような気になったことだと推測いたします。これを繰り返していくと、声帯の一部分にのみ負担がかかり、そこが固くなり、声帯結節になったり、全体に炎症する声帯炎になっていくことかと思います。これを繰り返して一時的に声が出るようになったとしても、それは「気合い」のような勢いに依拠するもので、毎回仕事で使えるようなレベルではないでしょう。日常的にシャウト以上に身体を使うトレーニングを積んでおくことが必要かと思います。
(♯Γ)

A.このような練習を続けていくと声帯が硬くなっていき、年齢とともに回復も悪くなります。そして、ある日声が出しにくく音程も取りづらい状態になってしまう可能性があります。
高い音をぱっと出せるのはかっこよく見えますし、憧れる気持ちは重々分かります。しかし、間違ったトレーニングにより、一時的に高音のシャウトができるようになるのと、確実な技術をコツコツと身に付け、美しく高音を出せる道、どちらがよいのでしょうか。
音楽の中で使える高音はいわゆるシャウトと言われるものであってもコントロールされた芯に響きのある声です。個人的に練習するのであれば、声帯を柔らかく使えるよう訓練するため小さな声で高音をコントロールする小声練習をお勧めします。(♯Ж)

A.年齢が若ければ、それだけ声帯疲労の戻りも早いですから、しばらく休めば回復します。けれど、これを繰り返していたら、声帯結節などができてしまいます。
結節とは、無理な発声をして、声帯の一部分がペンだこのように硬く盛り上がってしまうことです。左右の声帯がピッタリと合わなくなるということです。左右の声帯が隙間無くピッタリ合わさることで、よい声が出るのです。
声帯が合わなければ、隙間から息が漏れ、声はハスキーになります。
自然治癒しなければ手術が必要となることもあります。
術後また同じ発声を繰り返したら、また同じことになりかねません。
ダメージを受けている声帯の部分を使って出す音域は、かすれます。
それでも出さなければ、という気持ちが働いて、いつの間にか酷使し、気づけば喉の状態は、もっともっと悪い状態になっています。
シャウトに限らず、身体を使って出すようにしなければ、長い歌手生活は望めないでしょう。充分注意して練習しましょう。(♯Å)

A.シャウトは声帯に負担がかかると思いますので、あまりお勧めしません。(♯μ)

A.個人的にシャウトの練習したことはありませんが、声が嗄れない程度、もしくはかるく嗄れる程度の範囲で回復する状態であれば問題ないと思います。ただ人によって程度が違ったりしますし、声がどんどん嗄れる状態が続くのは好ましくありません。あくまで自己表現、音楽表現としてのシャウトですので、オリジナリティにつながることを前提として使っていっていただきたいところです。(♭Ч)

A.実際の状況がよく分からないので、ハッキリとしたことは述べられません。考えられることとして、喉(身体を含めて)がウォーミングアップできていない状態で過度な負荷を掛け過ぎたため、喉が炎症を起こし、ガラガラしてしまったのでしょう。
その後もやり続けて元に戻ったとしたのなら、炎症を起こして正常に鳴らなくなってしまった声帯を、無理やり摩擦させることで何とか音を出させている状態だと考えられます。
例えて言うなれば、真冬、車に乗り込み、エンジンの暖気もしないまま、すぐに高速道路をフルスロットルで走っているようなものです。かなりリスクの高いことだと思ってください。
今は声が出ても、歳を重ねるごとにそのような発声は声を失うリスクが高まると覚悟してください。
シャウトひとつとっても、喉だけで表現するのか、身体で支えられた状態で行なうのかで、使い捨ての声にするのか、一生付き合っていく声になるのかが分かれると思います。 (♭Я)

A.深く芯のある声をとりにいくと、やや押しつけた形になり、それを喉声と判断されてしまう人が少なくありません。今の日本ならリリックなテノールの7割、ソプラノの9割、ポピュラーなら100パーセントそう言われるでしょう。
人は自分の持っていないものについては否定的になるのです。もちろん全てをもつ人はいないので、それはそれでよいのです。
そこを認めて、そういうところはよりできる人に頼めばよいのです。シャウト=叫ぶ、これも叫びとして成立するようにシャウトできるかが本当の問題です。歌と日常、芝居では、少し違うところもあります。(歌のシャウトはたくさんのものがあるゆえ)
でも、シンプルに、叫べない人が増えました。今の日本の声楽家にはもっともタブーなことでしょう。ポピュラーでも日本人には少ないでしょう。
今や、そのかわりにファルセットが多用されるようになってきました。ハモネプや合唱団でもタブー。でもゴスペルやブルース、ジャズの本場は?私は本場にシンプルですごい人たちがいるために、多くを語らなくてすみます。それを皆が聞いている証人なのに、なぜ誰も言わないのでしょうか。(♭π)