Q.メニュの時間や回数はハードな方がよいのでしょうか。
A.目的によります。調整なら、もっとよい状態になるところまで、ゆっくり時間をかけるし、鍛えたいなら少し負荷をかけるくらいの回数、スピードでよいでしょう。どちらも続けていくことで結果が出てきます。やっていない人よりも、やることで確実にできるようになるところが基礎なのです。
Q.発声を、お腹を揺らして出すと横隔膜を鍛えられ、ビブラートの練習になるのでしょうか。
A.実際の状況と継続した結果をみないと何とも言えません。しかし、私たちはこういう表面的なアプローチはあまりとりません。一流の歌手や役者のプロセスにはみられないからです。副作用として悪いくせだけ残りかねないからです。しかし、一時的に、あるケースにおいて、自覚を促すのに使われることはあってもよいとは思います。
Q.まったく疲れない発声がベストなのですか。
A.歌や芝居は演じている人が疲れないのがベストということはありません。伝わるもの、感動させられるものがベストです。表現力は、声に支えられていても、よい声や楽に出せる声そのものではありません。声にもタフな声、疲れない声、ややハスキーでも魅力的な声など、人によっても使い方によってもいろいろとあります。ただ、基礎の練習では、無理に疲れる声で喉の状態を悪化させると上達しません。疲れる発声、何度も何時間もくり返せない声、すぐに異常を生じる声、自分の意思に反して変ずる声は、使えないともいえます。
Q.今ついているトレーナーは、筋力が第一と言うのですが。
A.初段階では効果が上がると思います。しかし、そこからトレーナー本人の実感(体験および指導で)が優先して、すべてがそのままでよいという考えになりがちです。中段階や上段階は、筋力はすでに前提であり、それ以上の必要はありません。むしろ柔軟や呼吸法のトレーニングなどが大切です。
Q.ヴォイトレには、無酸素運動は不要ですか。
A.声は、出す前に呼吸として準備して吸うのですから、そうなると思います。私は呼吸を止めることでも、行うスポーツに関してもまた、すべて有酸素運動であるという立場でありますが。(全力運動でATPは、3秒ほどでよくなるそうです)
Q.「よく考えるように」と「考えすぎるな」と反対のことを言うのはなぜですか。
A.考えることでわかろうとすると、どんどん分析的、部分的になっていきます。そして、学者の本などに手を出すわけです。ただし、一つひとつの部分は、全体の動きのなかにあり、その関連性の方が大切なのです。私は、体、息、声と説明したあと、体―息―声、体―声の結びつきの方が重要であると加えています。トレーナーや学者がいくら分析しても、アーティストのイメージに勝るわけではないのです。
Q.イメージと分析とどちらが大切、正しいですか。
A.自分の感覚、感性は大切ですが、磨かれていなければ、そこからのイメージは一人よがりで間違っているものです。一方、アーティストやトレーナーのイメージは、その本人には正しくても、あなたが受け入れた時点で、その多くが正しくなくなります。そのなかで自分の感覚・感性が磨かれて、他人とは違うあなたなりの正しいイメージが生じてくるまで待つことが大切なのです。
Q.基本と個性というのは相反するものですか。
A.低いレベル、初心者などでは、多くのケースでは相反して両立しません。トレーナーの「こうであるべき」というのと本人の「こうしたい」も一致しがたいものです。しかし、少しずつ「自分として、こうすればよい」とわかってくれば、トレーナーも「こうでなくともこうなっているのがよい」あたりになってくる。そんな感じで上達、成長するのがよいと思うのです。
Q.トレーナーのアドバイスは絶対に正しいのですか。
A.そこには、客観的なアドバイスもあれば主観的なアドバイスもあります。基本としても、多くの人に共通するアドバイスもあれば、あなたにだけに当てはまる特殊なアドバイスもあります。それを見抜く力が必要です。
Q.悪いトレーナーってどんなトレーナーですか。
A.主観的なことだけで判断して、客観性を持たないケースです。ただし、演出家やプロデューサーで天才的といわれる人は、それゆえに一流です。他のトレーナーが何と言っても聞くなと言う人もいます。