発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q.才能とは、個性とは何ですか。一人よがりにならないためにはどうすればよいですか。

A. すぐれた人の真似をするのは、あたりまえです。どんな天才であっても、誰かの影響を強く受けてきたのです。しかし、これを手段としたり、さらに目的を混同すると、真似しても害になりかねません。

声は顔と同じように、一人ひとり違います。でもその違いはそのままでは、個性でも価値のあるオリジナリティではないのです。自分の声や歌だから、オリジナリティなどという人もいるようです。誰もがやらないことをやったからという人もいます。しかし、それは新奇なだけで、オリジナリティではありません。仮にヒットしたといっても、時代がたって古くなるもの、あるいは他の国で認められないものは、真にオリジナリティでないと思うのです。その人がのり出さなければ、誰かが代わっていたでしょう。それに、歌手でなく、作詞家、作曲家の力でヒットしたのかもしれません。ポップスは、“歌は世につれ”で、もちろんよいのでしょうが。

私は、うまいのに何となく腑に落ちない、伝わらない歌をたくさん聞いてきました。多くは本人も知らないまま、真似が抜けていないからでした。もちろん、真似ていなくても(音源など聞いたことがなくても)そっくりになってしまうこともあります。音楽をすぐれたレベルで奏でると、共通するところがあるからです。

しかし、誰にも地に足がついている、まわりがどうであろうと、時代や世の中が何であろうと、それを超えて輝くオリジナリティはあるのです。それが、自分(声、体、性格、ルーツ、信条、生き方)を核にした、こだわり、深く練られた作品となっていくかどうかなのです。もちろん、同時代で誰一人認めないものとなると、絵画はともかく、歌では成り立たないでしょう。

私は、才能とは「入っているもの以上によいものが出てくること」と思っています。よいものとは、「新しいもの」「おもしろいもの」「変なもの」、そして「すごいもの」です。

音楽の中でことばがあり、人間の声である歌は、絶対的に強い。この二つが、日本の中で「ミュージシャンとしてのヴォーカリストの実力」を曖昧にしてしまった要因のように思います。(もちろん、そんなことでみる必要は日本ではないゆえ、日本では歌は厳しくない、ということになるのですが。)(♭π)

 

A. 才能があるとは、そのことが、他の人に比べてとてもうまくできる、楽にできるということでしょう。ただ、才能があっても、それを活かす、あるいは、さらに高いレベルまで、登って行くには、才能が足りないかもしれません。それでも、そのことが好きで、いくらでも努力を惜しまず、前へ進んでいけることこそ、才能だという人もいます。茶道の千利休が言ったように、「好きこそ物の上手なれ」ということです。

また、個性とは、オーソドックスではないこと。その分野で、一般的ではないこと。変わっていること。などと思われがちですが、本来の個性は、その分野をしっかりと修練し続けた結果、にじみ出てくるもので、その分野の他の人と比べて、とても変わっているということではありません。微妙に他の人とは違うということで、他の人たちも、同じように、みな微妙に違うのが、本来の個性です。しかし実際には、かなり他の人たちとは違っていて、ときには異端に近いものこそ、個性的と思われて、流行ることは少なくありません。

オペラの世界でも、ソプラノ歌手のマリア・カラスや、テノール歌手のマリオ・デル・モナコが、その時代のオーソドックスな歌手たちとは、声が違うということで、とても、もてはやされました。

しかし、どんなに他の人たちと変わっていても、一人よがりでは、使い物になりません。「下手の横好き」ということになってしまいます。一人よがりにならないためには、その分野の、オーソドックスを知ること、研究することです。声の分野で言えば、よいと言われている声を、真似て真似て真似ることです。そうすれば、大ヒットはしないかもしれませんが、その分野のプロの仲間入りは、できるでしょう。(♭Ξ)

 

A. 私自身は、才能はもって生まれた身体的な特徴に多いと思っています。例えば身長が2m近いような人だと、バスケットボールやバレーボールなどの競技に向いているという才能をもっていると思います。ピアニストなどでも手が大きい、指が長いなどは有利に運ぶことがあります。これも才能でしょう。他の人にはどうしても真似できないものを持っている人が才能を持っている人だと思っています。

個性は、身体的な特徴だけでなくメンタルや性格も含めて誰しもがそれぞれの個性をもっています。そして、才能や個性は幼少期や思春期の成長過程で飛躍的に伸びることがありますし、周りのサポートで磨かれていきます。

それらはまさにフィギュアスケートなどは特にわかりやすいです。毎年のように若い新しい才能が誕生してはそれまでの記録を塗り替えていきます。そういう意味ではフィギュアスケーなどは才能や個性を回りがサポートして伸ばし、上達していく競技だと思います。トップスケーターがよき指導者、勝てる指導者を常に求めているのも一人ではできないものであり、自分ではなく人に評価される競技だからでしょう。

昨今のスポーツ界では選手が有名になるとその指導者もクローズアップされます。声の世界もよき指導者を求めている人はたくさんいます。それは声の世界も人が聞いて評価される部分が大きい世界だからです。

その意味では一人よがりにならないためには、第三者の耳と目が必要で、それが複数であったり、定期的に変わってもいいのかもしれません。プロの場合は結果をともなうので、結果がうまくいかなければ違うアプローチの指導者に変える選択をするのは当然です。

感覚的な才能に恵まれている人もいますが、それらの才能は加齢とともに落ちていくことがあります。自分の感覚だけでなく、年齢や体の変化に伴って客観的なアプローチをしてくれる人がいることはその競技・芸事の現役生活を守っていく上で重要だと考えます。(♭Σ)

 

A.「歌うこと」においての才能とは、突き詰めれば「努力すること」ではないかと個人的には思います。よい声、優れた身体能力を持っていても、本人の努力がなければ、それを開花させることはできないからです。自分を知り、練習を工夫し、技術を向上させていくという努力ができるのは、その人の才能に他なりません。

個性とは、その人の持っている声の性質、身体つき、感性、だと思います。誰一人として同じ声帯、同じ身体の人はいません。歌うときも、声色や響きは自分にしかないものですし、曲の捉え方・感じ方も寸分違わずに人と同じになることはないのです。

そして一人よがりに陥らないためには、トレーナーなど第三者の耳、目線による意見を参考にするのが近道です。それが頻繁に叶わない場合は、自分の歌声だけに捕われずに、歌ったときの「身体の感覚」に意識を向けることです。身体の感覚がしっくりこない、不安定と感じているのに、相手にとって聞き心地のよい歌には決してならないからです。歌声だけを基準にするよりもはるかに一人よがりを回避できると思います。(♯α)

 

A. 才能や個性は、他の人がマネすることが難しいようなことであったり、個人個人のアイデンティティとなるようなものだろうと思います。それゆえに、逆に誰かのまねをすること(それを芸にしている人もいますが、それはそれとして)ではなく、自分を商品としてみたときに、魅力となる部分をしっかり持っていることではないかと思います。声の質も表現方法もビジュアルも人間性も、それぞれ魅力的に伝えることのできる部分というものはあるのではないかと思います。もっとシンプルに言えば、その人その人の特徴となる部分、セールスポイントとなる部分をしっかり持っていることではないでしょうか。これらは、自分一人だけの世界にいるだけではわからなくなってしまうものだと思います。声だけではなく、あらゆる立場の表現者として自分がどんな特徴を持っているのか、自分にどんな特徴を持たせることができるのか、何を売りに商品として成り立たせることができるのか。

これらは自分一人ではなかなか気づけないと思いますので、身近な人に聞いてみるとよいかもしれませんね。

(♭Я)

 

A. 才能と個性は別に考えたほうがいいと思います。

まず才能に関して。残念な話ですが、才能があるとか才能がないということはあります。才能がある人は、10代でスカウトされ、世界的な大歌手になります。みんな「自分は才能がある(かもしれない)」と思って物事を始めます。

しかし才能があるのはほんの一握りです。才能がないということを早い段階で悟るのが大切です。そうすると努力の質が変わってくるからです。才能がないとわかったときに、選択肢は2つしかありません。やめるか、続けるか、です。

このときに、やめないでほしいのです。声という素晴らしいものに出会ったことを、何とか生かす人生にしていただきたいのです。自分なりに続けていったとき、必ず応援してくれる人は現れます。

先日、あるオペラに関わったときに、30代の世界的なオペラ歌手の調子が悪いので、リハーサルで、それほど売れていない50歳前後の歌手が代役を歌っていました。私はその50歳前後の歌手の歌に、感動しました。そして、この人の名前と声は一生私の心に残ります。これでよいのではないでしょうか。私もそうなりたいと思っています。

個性に関して。個性は基礎を徹底してやりこんだ人に光り輝くものです。個性的な人は、個性を求めているのでなく、自分に正直に生きているだけです。髪の毛の色を派手にしても、それは個性でも何でもありません。(♭∴)

 

A. 面白いことに、これはある一定のレベル以上の人はあまり口にしなくなる疑問です。

大して練習も努力もしていない人ほど「私には才能がない」「もっと個性が欲しい」などと言って鍛錬を怠り、能力のある人との差がさらに開き、それを目の当たりにして落ち込むという負のスパイラルに陥っていきます。なので、答えはただ一つです。練習して下さい。

20世紀の高名なフルーティストにジャン=ピエール・ランパルという人物がいます。神と称される素晴らしいフルート奏者ですが、ご家族の話によると「晩年まで毎日毎日練習していた。何に納得がいかないのかわからないが、何度も何度も同じ個所をさらい続けていた」とのこと。もはやできないことなど何もないレベルの演奏家でもこんなに練習するんです。

私は才能とは、一つのことを愚直に努力し続けられる能力のことだと思っています。極論かもしれませんが、それだけ練習すれば個性は勝手に芽生えるものだとも思います。(♯∂)