Q.先生には、何かを教わったり、習ったりしたわけではないのに、できるようになったので感謝しています。☆
A.それはもっとも理想的な学び方だと思います。先生やトレーナーのものでなく、あなたのものとなっているので、すぐに実践に使えるからです。
Q.どこで学んだことを中心に教えていますか。
A.私も、いろんなところで長く携わってきましたが、海外のスクールや日本の音大の声楽と、すべてみて比較して、今も学んでいます。ミュージカル劇団や声優スクール、ワークショップなどで教え方も学んでいます。邦楽、詩吟、民謡などについても、ここ10年でようやく充実してきました。
Q.ワークショップには否定的なようですが、学べることはありますか。☆
A.何からでも学べるし、どんな経験も生かすのは本人しだいです。ですから、否定はしていません。ワークショップは、緊張で身構えているところから、簡単な動きやせりふ、ゲームや笑いを通じて、あなたの状態をよくします。その柔軟な体と心にするのに、集団、グループの力を利用して行います。
その状態自体をつくれない人たちが、プロに導かれてつくれているのですから、次の日から元に戻るわけです。マッサージみたいなものです。できたことは、導かれてやらされたからで、自分の力でできているのではないのです。そういうことに気づかないことがよくありません。
とはいえ、その体験からの気づきや自信は経験になり、プラスになることもあるでしょう。しかし、本当の問題は、そこから3年、5年と、本当に自分の実力になるべき次のアプローチがないことです。
私のトレーニングでいう、気づき、チェック、改善のうち、気づきやチェックで終わるのがワークショップなのです。たとえば、一つの劇をつくる、それは、そこにさえ出れば誰もができる体験です。でも、実力がついたのではないのです。陶芸教室に3日行ったから、プロになったという人はいないでしょう。本当に役立つものであれば、まず選別され、そのなかでのプロレベルの力のある人だけが達成でき、力のない人は役を降ろされる。そして、力をつけるメニュをやらされるというものです。形をつけただけの劇なら、誰でもできるのです。
Q.祭りと声の研究をしていると聞きました。なぜですか。 A.日本で代々受け継がれてきた、ハレのものであり、快感、陶酔して変身するものというような条件なども、数少ない現実として残されています。何よりも、昔ながらのパワフルな声が継承されているからです。
※Q.ステージでの表現への意欲のもとは何だと思いますか。☆
A.私は、声から考えてしまう方ですが、これを読む人が、そこからの観点を期待しているからでもあります。私はいいものを手に入れたり、みたりしたら、人にそれを伝えたくなります。一緒に体験したくなります。私一人では楽しめずに、どんな人でも動物でもよいから、共に味わいたく思います。価値そのものはどうでもよく、その人が価値を見いだせたらと選びます。どんなつまらないものでも、何回みたものでも、また、その人と体験したい、あるいは自分が体験しなくても体験させてあげたくなります。人生の半分以上は、そのおせっかいで費やしました。そういったものから生きる力を与えられ、それを周りに生きる力として与え、触媒することで自分の生きる力も支えられているように思うのです。ですから、私は才能あるアーティストたちの表現力も、すばらしい作品を独り占めせず、皆に分け与えたい、またその場で与える以上に、生きるエネルギーを受けとっているのだと思います。声もまた、そのツールです。
Q.本を愛読しています。どうすれば活かせますか。
A. 一冊の本では、私のを例にとると、本質的なことは10分の1、あとの10分の9は誰にでもわかるレベルのことです。私としては、その10分の1を学んで、残りは、本人なりに一冊の本になるようにつくるつもりで読んで欲しいと思っています。(♯)