A.私は練習曲に、外国曲や演歌、歌謡曲まで使わせていますが、今のJ-POPの曲を声のベースづくりとしては使っていません。
歌が詞と曲と声の総合的な組み合わせの妙で成立しているJ-POPの曲は、手本や見本にしにくいということです。曲、詞、歌唱それぞれ独立してみたところでの完結性や完成度がないということかもしれません。
ヴォイトレは声そのものの技術、完成度を求めていきます。しかし、シンガーソングライターなら表現から入っていくので、トータルでの完成度となります。声、そのものの正解というものがないともいえます。むしろ、そのアーティストのもつ生来の声や音色、フレーズのくせを生かしたように曲がつくられているので、他の個性をその曲で発揮するのは難しいのです。つまり、そのアーティストのようなくせで歌わないと歌が成立しにくいというところまで、歌だけの完成度がなく、歌い手の作品としての完成度があるということです。
これは私がJ-POPを評価していないのではなく、むしろ「真のオリジナリティとは、そのアーティスト以外がそれをやると間違いになってしまう」という持論からすると、これほどの強いオリジナリティの作品はないのです。それゆえ、基本の発声やその人のオリジナリティをみつけ育てるヴォイトレは使いにくいわけです。
体からのしぜんな声、発声原理にそって最大限、声の可能性を追求しようというヴォイトレでは、たとえば共鳴での技術は、声楽=クラシック=オペラに一つの範をとることができます。その下位に発声があります。そこからヴォイストレーニングを考えるとわかりやすいわけです。(♭)