A.歌が許されるのは、次の二つの理由があると思うのです。一つは、一人ひとり声が違うから、それが個性やオリジナリティと思われていることです。楽器のプレイでは、同じ音色からタッチとオリジナルフレーズで、その人の音を出さないと評価されないのですから、それと比べるととても安易です。
もう一つは、ことば(歌詞)があることです。人の声、人のことば(物語、ストーリー)があることが、本来は楽器レベルでの声の演奏という技量を高めなくてはいけないことが、ただその人の声で思いを読んだら伝わるということにために見えなくなっているのです。(特に、詞、ストーリーを優先する日本人、日本の歌のスキャットや声の楽器的な使い方の少なさは、指摘してきました)
それを私は、1.楽器演奏として歌詞を介さないで聞く、2.欧米ほか、一流のアーティストの耳で聞く(ここで一流と共通のものを守り、一流がそれぞれ独自に創っているところに、オリジナリティをどう創っているかでみています。そうすると、残念なことに、世界で耐えられる作品とヴォーカリスト(つまり、世界に通じ、歴史に残る人)は、あまりにも少ないのです。
その代わりに、曲、詞と声の一体感で迫る、独自の世界のある歌い手と、ビジュアルで注目されるような人はいます。日本人好みの人もいます。残念ながらオーディアルでの声の表現としてはまだまだというか、日本では一昔前より弱くなってきています。これは、体に基づくものであるからともいえます。(♭)