A.音楽著作権がまだ整っていなかった昭和の半ば頃までは、同じ曲を違うレコード会社専属の歌手同士、同じ時期に競作してヒットを競うこともありました。そういうなかで、私が覚えている最後の曲は「氷雨」でした。(日野美歌、佳山明生の歌唱)一方、フォークなどの台頭期では、かぐや姫などでも、ほぼ一曲だけを繰り返すステージをやっていました。(「好きだった人」などが、その代表曲。フォークは歌詞の力が大きく、即興の詞づけにも長けていて、必ずしも曲の力とは言い難いですが)
日本では、50年代から70年代にかけて、ロカビリー、ロック、ポップス、ジャズ、カンツォーネ、シャンソン、ラテン、ボサノヴァ、ファドまで、日本語の訳詞をつけて歌う時代となり、同じ曲での比較が容易になったのです。当初は英詞の訳もよいものがありました。この一連のヒットで、出版社をつくったのがシンコーミュージック創設者、(故)漣健児氏です。「悲しき・・・」で始まる一連のシリーズが有名です。多くの歌い手が同じ曲を歌ったため、比較することで、秀劣や個性がとてもわかりやすかったのです。この頃の歌い手は、個性的な音色がありました。(笠置しず子、弘田美枝子、坂本九・・・など)今は売れなくて、昭和の曲のカバーは多く出るようになりましたが、元歌を超えられていません。(♭)