Q.ヴォイトレに関係のないQ&Aが多いと思います。
A.声だけのQ&Aを読みたい人は、政治、社会、経済などに私が言及するだけでおかしいと思う人が多いようです。声やヴォイトレは、すべてに関わっているのです。そういうことを扱っていながら、周りに関心を持たず発言もしないのは、おかしいことです。世の中や人々や時代を知らずして、ヴォイトレの成果が使えますか。すべては、声や教えることと関わっているのです。
Q.どんな質問も答えているようですが、できないことや教えられないことはないのですか。
A.いえ、すべて答えているつもりはありません。できる、できないというのは、二分でなく程度問題ということです。私よりベテランのトレーナーは、私よりうまく答えられるでしょう。そういう人にも答えてもらっています。わからない質問は話をそらしたり、ここに挙げていません。
※Q.ネットなどでヴォイトレを論じないのはなぜですか。
A.私にとって肝心なこところは本質的なところなのです。ネットなどでは論議の対象にならず、論議できるのは、総じて安易なところだけです。
コップの半分の水をどうみるかということでの、ポジティブな人と、ネガティブな人と判断することができますね。日本人は総じて「半分しかない」とみるようで、心配症なのです。ですから本でもネットでも、悪いところを探し出し、批判する。
政策や経営ならともかく、トレーニングですから、批判をしても、その人に何ら、力はつかない。自己優越感をもちたいだけです。勘のよい人や才能のある人は加わらず、あるいは外れていき、そういう人だけが残るようになって論ずるのがネットの弱点です。
私からみると、コップの水が10分の1なのに、それを飲まずに、10分の9のスペースを論じているようにしか思えないのです。それゆえ、関わることはないのです。
これはレッスンなどでも似たようなものです。すぐれた人は、何でも誰でも活かす、自分のために使える。そういう能力があります。自分がすぐれていると思っている人、あるいは、すべてすぐれた人にやってもらいたいと思っているのに、周りを活かせずに生きている人たちは、そう簡単にポジティブな方へは行かないのです。そこを変えるのが最大の人生の肝なのに、他人の批判で、そのエネルギーを費やしてしまうのです。
ネットもグループもポジティブなら、とてもよいものになる可能性があるのに、ネガティブな人が同じタイプを巻き込んで、人生の貴重な時間を無駄にしていく、共犯者づくりになっているのです。(rf)(♯)