発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q.声や歌の素質(持って生まれたのと)と育ち(後天的に身につけられるもの)について考えています。たとえば、外国人の方が有利なのですか。

A. 声や歌の素質といっても、どんな声や歌をめざすかによって違ってくると思います。たとえば、日本の伝統的な邦楽をめざすには、やはり、日本育ちの日本人が、圧倒的に有利だろうと思います。今では、畳の上で生活する日本人は少ないかもしれません。そういう私も、ほとんど椅子の生活なので、正座は5分でも辛く、お尻が踵に付くのに、2~3分かかります。それでも、西洋人よりは、胡坐もできるし、少しはましだろうと思います。

逆に、そんな生活環境にはない西洋人の、普段の身体の使い方は、日本人とは全く違うはずなので、声の支え方も、全く違って当然です。さらに、声に大きく影響を与えるのが、言語でしょう。

今年のパリオリンピックをご覧になった人は、フランス語の独特な響きに気がついたかもしれません。昔は、東北弁に似ているとも言われたものですが、さらに、ドイツ語とイタリア語では、三者三様で、大きく言語の響きが違います。また、同じ英語の米語とイギリス英語でも、異なる響きになるので、声の響きは違ってきます。そう考えると、ほとんど後天的な生活環境によって、違いが生まれるようですが、オリンピックを見てもわかるように、人種の壁は厚く、その骨格的な特徴によって、得意不得意が決まっていくように見えます。

しかし、ここに一つの救いがあります。たとえば洋楽ですが、当然、西洋人に有利ですが、日本人には、西洋人と違う育ちや環境のおかげで、違う感性が身についているため、西洋人とは違う特徴がにじみ出てくるのです。そこを、個性として生かすのは、有利になるでしょう。(♭Ξ)

 

A. 歌い手にとっては自分の身体が楽器であること、そして自分の楽器をどう使いこなしていくのかが重要であることはどの人種であっても同じ条件です。それを踏まえて、外国人と日本人(アジア人)を比較すると、その違いは主に骨格や体格のサイズです。たとえば欧米人は一般的に日本人よりもサイズが大きいです。では大きい方が有利なのかというと、そうではありません。その楽器(自分の身体)を使いこなせていなければ、本人は歌いやすいとは感じません。また楽器が大きい方が深くて厚みのある響きが出るという理論はその通りなのですが、歌い手にとっては声帯によって異なるので一概にそうとは言い切れません。たとえば大きな身体つきをした女性でも、細くて短い声帯を持っているならば、深くて厚みのある声とは逆の明るい響きの可憐な声という場合もあります。このように見ていくと、楽器(自分の身体)という先天的なものはみな平等であり、その楽器を使いこなす技量・声の響き・表現などの後天的な部分は、その人の頑張り次第なのだと思います。(♯α)

 

A. 生まれてすぐの状態(新生児から幼児くらい)であれば、日本人も外国人(特に欧米人)もそれほど大差はないのではないかと思います。大人になるにつれて、体格的な部分も多少あるかもしれませんが、最も影響を与えるのは、日常的に話す言葉と生活の仕方だと思います。生まれてからずっと日本の都会で育ってきた人、特に防音性の低い集合住宅で育ってきた人などは特にそうかもしれませんが、「うるさい」「近所迷惑だから静かにしなさい」としつけられてきていると思います。また、社会に出てからも、大声でしゃべるというよりは、「おしとやかにおとなしくしゃべることがマナーである」という風潮から、あまり声を使わない傾向になってしまうのかもしれません。

外国語の場合、特にイタリアの場合は、母音がはっきりと発音される、すなわち楽器としてもしっかり鳴るような状態で発音されることが語学の文化としてすでにあり、また、コミュニケーションの距離感も日本人よりも近い(ハグやキスがあいさつで日常的)ことや、おしゃべり好きで人と会うとずっとしゃべってしまうような人柄が多いことなど、このあたりが違いとして考えられると思います。これと同じような生活を日本でも行えていれば、日本人であってもその差は縮めることができるのかもしれません。(♭Я)

 

A. イタリア人のハーフの子供に会いました。まだ4歳なのに、声の出し方が日本の子供と違うなと感じました。とても大きく、よく響く、ちょっとびっくりするような大きさでした。住環境が違うのもあるし、言語からくるものもあると思いました。

日本では、家の中、電車の中、公共スペースではとりわけ、他人に迷惑をかけないようにと気を遣わせることが多いです。国全体で子供を世話しようという感覚の国では、そのような配慮は少なく、のびのびと大声を出していられるのかもしれません。

あとは言語の持つ特性です。やはり日本語は声帯をそれほどびしっとあわせずふわふわしゃべっている印象を受けます。以前イギリス人の普通のおじさんとしゃべったとき、歌手でもない一般の人ですが、骨格のせいなのか咽頭の位置が深いのか、とてもいい声だなと思いました。持って生まれた素質は、どの国に生まれてもある人とない人がいると思います。育ちについては、これも日本の中でも田舎なのか、都会なのかでも変わると思いますし、親の考え方一つでも変わるのではないでしょうか。言語からの面でいうと、歌にはかなり影響が出ると思います。(♯β)

 

A. 有利かどうかは考え方によります。まず、有利というのは「正しい」発声で「正しく」歌うために、ということでしょうか。それともお客さんがついて、有名にはならないまでも、何とか声や歌で食っていくのに、ということでしょうか。まずそのことで「有利」ということが真逆の意味になってしまいます。

生まれつき才能があって、家にお金があって、物心ついた時から一流の教師に習って、現役で芸大に受かって…なんだかあまり応援したくありませんよね。一方、生まれつき才能がなく、家は貧乏で、30歳で声で歌で生きていこうと決意して、借金して地方の音大にかろうじて合格して…それで、「うまくないかもしれませんが、歌は私の人生です。一所懸命歌いますので聞いてください。」と路上ライブを重ねていくうちに、お客さんがついて、形になっていくかもしれません。

私は、本人がそれを望む以上、後天的に手に入れられないものはないと考えています。誰かの言葉だったと思いますが「夢はなくならない。あなたがいなくなるだけ。」もちろん、身長160センチの人が180センチの身長を手に入れるのは、無理でしょう。音域1オクターブの人が3オクターブを自由に扱えるようになることも難しいかもしれません。しかし、後天的に手に入りにくいものは、えてしてあまり本質的でないものです。本質的でないものは、すぐに必要でなくなります。(♭∴)

 

A. あなたがどのようなジャンルの声を使いたいのか、そして外国人というのが何人を指しているのか不明ですが、自身の遺伝的特徴と生まれ育った国が一致している場合、その国の芸能や音楽をやるのが声にとって自然だと思います。つまりあなたが日本生まれの大和民族なら、詩吟や能や長唄などをやるのが一番です。それが風土と身体にあっているからです。しかし現代ではこういったジャンルをやりたい人はごく少数です。

質問の本意として、日本人が西洋音楽をやることへの限界や、白人や黒人に身体的能力で及ばないことへの悔しさが溢れているように感じました。

はっきり言って不利です。あたり前です。逆に考えてみましょう。あなたは白人が演じる能を観たいですか。異文化のものを表現し、受け入れてもらうにはさまざまなハードルがあるのです。日本人が普段洋服を着てコーラを飲むのが普通になったとはいえ、根本は違うのです。

それでもオリンピックで日本勢はフェンシングで金メダルを獲りました。ヨーロッパ由来で、手足が長い方が確実に有利な競技においてです。これは凄いことです。

スタートラインが違うことと、努力と工夫次第で変えられること、この二つが答えだと考えます。(♯∂)