A. 声のくせは、その人の声の特徴で、それも個性といえなくはありません。
しかし、もって生まれた声とその発声機能を充分に活かしきっているといえないから、くせと感じられるのです。
ガサついている声、マイクに入りにくい声は比較的、大きな声を出している人にも多くみられます。喉に力が入っていたり、口内で共鳴がうまくいかない、鼻が詰まったり鼻に抜けたりなどしているのが、主な原因です。音色の問題です。
いざとなると、不自然な発声に切り替わって、喉をしめつけるくせがついている人もいます。小さな声しか出ない人は、響きが出てこないので、固く聞こえます。
聞きづらいというのは、声がうまく使えていないから共鳴していないのです。生まれつきということではありません。
まず、間違ったイメージや思い込みをとることです。他の人の声やその使い方の影響による場合も多く、これも含みます。自分に合っていない声を出そうとすると、無理が生じます。
次に、発声上の問題です。大きな声を出しすぎている人は、低めで、ゆっくりと出してください。リラックスして、強い息を使わずに声を出します。かすれたり、喉にひっかかるのはよくありません。
最後に、発音やイントネーションの問題があります。
身体や息のトレーニングで、イメージとしては、少しでもお腹から(できたら背骨から)息が流れるようにしましょう。喉から上ではなく、お腹全体に意識をもって出していくとよいでしょう(♭π)
A. くせと個性は違います。しかし、芸能界などでは、より人目を引くほうが有利なので、個性よりもくせのほうが、重宝されます。注意しなければいけないことは、個性は声を傷める心配はありませんが、くせは、声を傷める可能性があるということです。
個性は、無理のない、楽で正しい発声をしているときに見られる、一人ひとりの声の違いで、それほど大きな違いではありません。一方、くせは、偏りのある発声で、どこかに無理のある発声です。
ですから、くせをとるためには、どうしてもそのくせに注目しがちです。そうして、そのくせを抑え込もうと、いろいろ努力すると、そのくせを抑えるために新たなくせを生み出すことにもなりかねません。それでうまくいくケースもあるかもしれませんが、お勧めは、一旦そのくせは放置して、発声の基礎から、見直して積み上げ、改善していく方法です。
すぐには、くせは直りませんが、基礎から見直していく過程で、くせの原因が見えてくるものです。そこが見つかれば、くせが取れるのも、それほど遠い将来ではないでしょう。
ただ、長年の発声でついてしまったくせは、意外に根が深く、そのための無理を減らすために、いくつもの悪いくせが、絡みあっていることもあります。そうなると、改善のための道のりは、少し大変になりますが、一本一本、絡んでしまった糸をほぐしていく努力が必要になります。
(♭Ξ)
A. 声そのものは個性です。私たちの身体つきや声帯は生まれ持ったものなので変えることができません。ですので、声が高い・低い、声の響きが深い・浅い、声が太い・細いといったことは、人それぞれの個性なのです。
一方で、声の出し方や話し方によって声が何らかの影響を受けていることに関してはその人の「くせ」だと言えます。たとえば声が鼻にかかっている人は、知らないうちに鼻の方に息を送るくせがついているのです。
本人は気づかないことが多いので、まずは鼻をふさいで話してもらい、詰まった声を自覚することで改善に向かっていきます。声がこもって聞こえる人は、始めからこもっていたのではありません。あるときから声がこもるような話し方のくせがついたのです。この場合は、歯を閉じて話してもらうと徐々に発音の位置が前に出てきます。
ほんの一例ですが、こうしてくせを改善していくことで、本来の声の聞こえや声の出しやすさを感じることができます。(♯α)
A. くせと個性はある意味では、紙一重だと思います。ただ、それが聞き手にとってよい印象を与えるものであるかという観点や自分自身の楽器のポテンシャルを最大限活かしやすい方向であるかという意味で考えると、必ずしも一致はしないのではないかと思います。
声に関しては多種多様なジャンルがあるので、よしあしという観点では一概に述べることができません。芸能界などでは、くせのある声が商品になることもあるからです。声楽的な観点で言うならば、声を無理に押し出したような出し方、怒鳴るような歌い方、吠えるような歌い方であったり、その逆で、息漏れ声の歌い方や弱々しい歌い方、発音が不明確な歌い方などは、そのままでは通用せず改善を求められることが多いでしょう。何よりも、そのままでは作曲者が作った本当の音楽を再現することが不可能になってしまうことがその主な理由です。
このように、ジャンルによってはくせを個性にすることもできますが、個性と言い切れないこともあります。本当の意味での個性というのは、くせを取り除いても残るその人にしかできない、その人の楽器を有効活用した音色や音楽性ではないかと思います。(♭Я)
A. 声のくせと個性は紙一重のところがあると思います。ヴォイストレーナーの立場としては、無理のある発声、効率的でない発声、通らない発声は直したいところですが、それがその人の味であるならば、そのくせは直さないときもあります。
本人が、音が出にくい、聞いている人が苦痛に感じる、音程が不安定、声が届かない、チェンジがうまくいかない、すぐ息が切れる、など、難しさを感じていて直したい意思があるときは協力します。
今まであった例で、若い頃地声で歌えていたのに歳をとってから声が出にくくなっていたケースでは、頭声を学んでもらい、声の出し方をそもそも見直して、発声を再構築してもらいました。
また、これも加齢によるものですが、声の支えが効かず息がもたない、これも発声の筋肉をつけることでトレーニングしてもらいました。
自分のパフォーマンスに納得できる声を身につけてもらいたいです。(♯β)
A. 私は違うと考えます。くせ、というのは、生まれつき持っているもののことなのだと思います。悪い意味かもしれませんが、人によっては才能と言い換えてもいいのかもしれません。一方で個性というのは、訓練しぬいた上ににじみ出てくる何かだと思います。
武道を習っていたことがあります。「守破離」といって、上達には3段階があるのだそうです。「守」は先生に言われたとおりにやってみる。「破」は先生に言われたことにあえて背いてみる。「離」はすべてを吸収しつくした結果、先生のもとから離れる。一番長く大切な段階は「守」で、先生が言われたことを徹底的にまねすることです。どうしても我流が入ってしまうものです。自分を厳しく律して、本当に先生の通りにやってみるのです。何かを極めようとしたら、必ず何らかの訓練が必要です。訓練をし抜いて出てくる何かが、芸として出てきて、人の心を打つのだと思います。
私の音楽の師は日本人ですが、長年ウィーンで活躍されていました。「自由な芸風」として知られていました。テンポも動くし、楽譜に書いてない表現も取り入れ、奏法にもこだわりません。ところが師は「私の演奏が自由なのは、基本に忠実だからだ。20代でウィーンに来て、すべての伝統を学びつくした。今やウィーン人が日本人の私にウィーンの伝統を習いに来るよ。」とおっしゃっていました。含蓄の深い言葉だと思います。(♭∴)
A. くせと個性については人によって定義の分かれるところかもしれません。たとえば桑田佳祐さんの歌い方。あれは、くせと言っても個性と言ってもいい気がします。
今回のご質問に話を限定すると、ご自分で「くせ」だとお考えの時点で、それは個性とは別の何か、即ち素直な発声を阻害しているマイナス要素だとお感じなのではありませんか。ならばそのくせは取る方向で考えましょう。
個性は、声とテクニックを磨きぬいた先に滲み出るものです。そこにたどり着くためには、どこかで一度くせという装甲を脱ぎ捨てて、丸腰で声と対峙する時間が必要です。個性を失ってしまうことが心配になるかもしれませんが、一度素直な声で勝負してみましょう。くせを脱ぎ捨てるというのは、ロック解除ということです。きっと新しい風が吹いてひとまわり成長できます。もし気に入らなければ、また装甲をしょい込むことも可能です。(♯∂)