発声と音声表現のQ&Aブログ

ヴォイストレーニング専門の研究所内外の質問と、トレーナーと専門家のQ&Aブログです。 あくまで回答したトレーナーの見解であり、研究所全体での統一見解ではありません。また、目的やレベル、個人差により、必ずしもあなたにあてはまるとは限りません。参考までにしてください。 カテゴリーから入ってみると便利です。 【rf :他に詳しく答えているのがあるので、それを参考にしてくださいという表記です。】 引き続き、ご質問もお待ちしています。できるだけ順次とりあげていきます。

Q.正しいトレーニングの方向がとれているときの感じを一言で言うと。

Q.正しいトレーニングの方向がとれているときの感じを一言で言うと。

A.内的な感覚と外からみえる動きが一致していくようになっていくことです。

 

Q.いつまでも与えられたことが練習できません。

A.練習ではできないことはできないのですから、できることをより正確にやってください。そして、すごく調子がよいときだけ、できないことにアプローチしてみてください。

その前にできることとできないことを区別してください。できることがどのくらいできているのかを知ってください。それを知るためにトレーナーがいるのです。

 

Q.学びにいくのに、トレーナーに頼り、依存してはいけないのですか。

A.頼るのと依存、信じるのと依存とは違います。それで楽になるのなら、一時はよいと思いますが、ただ苦痛を避けたいためだけなら違うと思います。人生やあなた自身の問題から目をそらしていることになります。

 

Q.トレーナーにつくと、あらゆる問題はなくなりますか。

A.それではあなたの身のためになりません。より具体的に必然に解決すべききっかけになれば充分でしょう。解決する必要性も高まり、そのために、苦労することもより出てきます。具体的に前向きの努力をするためにトレーナーがいます。声のトレーニングという、わけのわからない不確かさのはっきりした距離を示し、足りない力に対し、その補充をするためにトレーナーがいます。

 

Q.呼吸のトレーニングは必要なのですか。自然のままではいけませんか。

 

A.歌やせりふがしぜんなものであれば呼吸も間に合いますが、これらは、時に大きく長く続けないといけないことがあり、節や感情を伴わせる複雑なものとなります。それゆえ、日常の呼吸で足りない分は補強しておくべきと考えます。

 

もう一つは、しぜんにというのなら、体内の状態が悪いと、それが反映された呼吸と声になります。プロの仕事では、それでは務まりませんね。

 

Q.呼吸法の練習では、何秒吸って何秒吐くかが先生によってさまざまです。どれが正しいですか。

 A.どれも正しくはありません。根拠もありません。たとえば、その先生が自分でやってみてよかったことから初心者が覚えやすいとか、そんなところです。つまり、何であれ、行うことで呼吸の機能を強化することが大切なのです。

 

Q.たくさんの方法やトレーナーがいるのに、あまり進歩していないのですか。

 

A.正直に私見として言うと、私も一つの方法から、数十の方法を、さらに研究所では十数人のトレーナーで、その何倍もの方法を使うようになりました。しかし、私どもの前の時代、科学的でもなく、精神主義的に無駄無理の闊歩していた頃の、ヴォイトレとさえ言わない頃の方が、声が鍛えられ、磨かれていたといえます。それは、過度に集中して訓練されてこそ到達できる芸域、芸の深さというものです。それを誰でもすぐにできるなどというノウハウやレシピにして浅く広げてしまったのが、この20年くらいの歩みだったと思います。

 

Q.「誰でもできる」は、とてもよいことではないでしょうか。

 

A.本当の意味での「誰でも」は「独自の」ということであるべきです。誰でも3分間でボンカレーができる。これは作った人が偉いのでなく、メーカーが偉い、売れると得するわけです。料理の世界では、そこまで行って、それは大して豊かな食生活でないことに気づきました。

 

武道がスポーツ化していったように、歌も、大衆化した反面、プロとしては、ルックスも含めて身体能力の高い人だけの競技のようなものになりつつあります。

それぞれにその人独自の個性があり、それをトレーニングで伸ばして発揮させていく、そのようなプログラムは、3年から5年で完結できるはずもないのです。学校教育も同じで、一流の芸術家と学校での音楽や図工の成績は見事に反対でしょう。

Q.言われたことをやっていると、飽きるしつまらないときがあります。くり返すコツはなんでしょうか。

 

A.それは、どこまで先に、つまり、これから来るであろう自分の時間にイメージを馳せられるかでしょう。つまり、一言で言うと、未来に、夢に生きているかということだと思います。それと、ただ、日々、同じことをくり返すというだけにも意味をもつこと。人生の最高、最大の贅沢の一つです。

 

 

Q.私の先生は、録画を禁じています。なぜでしょう。

 

A.いろんな考えの人がいます。そのときを真剣に、二度とない時間として接するために、後で聞けばいいという安心感を持たせたくないとか、機材の操作や音などが邪魔になることも、さらに本音が言いにくくなることなどもあります。プライベートなレッスンでは、そのようなことは少なくありません。私どもも公となることが前提のときは、ことばも選び、それだけが一人歩きしないように、イメージ的なことばや不確かなことを避けます。しかし、その辺りが本人に大切なこともあります。

 

あと、録音されて何度もくり返して聞くとよくないと思われるような注意には気をつかわざるをえません。相手との信頼関係がなく、第三者や公開されることまで踏まえての発言となると、一般向けのものとなり、本などと似てきます。

 

さらに、録画、録音は、そこで出たものと同じではありません。どこかが強調されどこかが弱まっています。別の面で、録音、録画をみての反省や、自分のものの分析で学べることは多いのですが、あまりにそれを絶対視すると、よくないこともあります。